「陸船車」紙芝居になる

このたび「世界最古の自転車・陸船車」に関わる様々なエピソードがストリー化され、「陸船車物語」と題して紙芝居になった。

庄田門弥「陸船車発明物語」

(作者:本庄市立北泉小学校 読み聞かせボランティア「本の泉」/共同制作者: 本庄南小学校 校長岡村和美)

時代は1720~30年ごろ、江戸徳川幕府の最盛期。将軍吉宗が質素倹約を求めた享保の改革の真っ只中……。

本庄の百姓庄田門弥は人力で陸を走る舟形の乗物を発明した。

人々は「陸(りく)を走る舟だ!」「一日千里を走る千里車だ!」「新商品開発を禁ずるご法度違反ではないか?」と立ち騒ぐ。

さてその経緯は?

まずは紙芝居を/━

庄田門弥「陸船車」発明物語
北泉小読み聞かせボランティア 本の泉 作

ナレーション

2021年7月、第32回東京オリンピックが開催。
7月8日には。本庄市でも聖火リレーが行われました。


民衆

「わー!わー!」「がんばれー!」「わー!わー!」

きたお

「ねぇ、お母さん、あのお船みたいな乗り物は何?どうして聖火リレーをお船みたいなので走るの?、」

きたお 母

「あれはね、お船じゃなくて、自転車なのよ。」

きたお

「えっ、自転車?」

きたお 母

「陸船車といって、世界で初めて発明された自転車なのよ。」

きたお

「えー!世界で初めて?」

きたお 母

「むかしね、この本庄《北泉》で発明されたのよ。」

きたお

「えー!僕の住んでる北泉で?」

きたお 母

「そうよ。では、そのお話を、してあげましょうね。」

ナレーション

さぁ、皆さん、それでは江戸時代にタイムスリップして、本庄《北泉》の様子を見てみましょう。

昔、昔、今から300年前の江戸時代。

農民①、②

「あー、よいしょー、こらしょー。」「あー、よいしょー、こらしょー。」

農民③

「今日もいい天気だー。」

農民 女

「ぼうやー、いいこねー。」

門弥

「今日も豊作だー。みんなのおかげだー。」

ナレーション

ここは、一蔵の国、児玉郡北堀町。

そう、現在の埼玉県本庄市北堀。《この北泉小学校の、この場所です。》

そこに、庄田門弥という、ひとりの男がおりました。

門弥は、子どもの頃から手先が器用で、細かい物を作るのが得意でした。

門弥

「ここをこうして、・・・こうした方がいいかな。」

門弥 母

「門弥、また何かこしらえてるのかい?」

門弥

「母ちゃん、考えるのって楽しいね。工夫するのって、ワクワクするね。」

門弥 母

「お前は物作りを始めると、時を忘れて夢中になってしまうわねー。」

ナレーション

門弥は大人になっても、いつも考えたり、工夫したりして、物を作っていました。

なかでも「からくり」が大好きで、新しい仕掛けを作っては、みんなを驚かせていました。

からくりとは、機械じかけの人形や模型のことで、当時は、お祭りの山車やからくりの舞台が人気でした。

門弥

「江戸にもからくり芝居を見に行ったし、何か新しいアイデアをいれたからくりを作れんもんかのう。」

ナレーション

その頃幕府は、江戸と大阪を結ぶ中仙道の整備をしていました。

本庄は近くに利根川が流れ、船でも江戸を往復し、中仙道にも人や物が集まり、

中仙道六十九次最大の宿場町になっていました。

門弥

「わたしは長い間、本庄宿の移り変わりをみてきたが、近頃、人や物の移動が盛んになってきたのう。新しい乗り物があれば、もっと繁盛するじゃろう。

しかし幕府は乗り物を作ることを禁じておる。・・・そうだ!

からくりの乗り物を作ってみたらどうじゃろう。そしてその中に、新しい工夫をいれておく。いつの日か、それを見た誰かが、本物の乗り物を作ってくれたら、本望だのう。」

ナレーション

ある日門弥は、村の衆を集めました。

門弥

「この水車がまわるのを車輪にして、人を運ぶ乗り物が作れないじゃろうか。

みんな、お祭りの山車の上で人形が動くからくりを知っているね?」

村人①、②、③

「うん」「知ってる、知ってる。」「見たことある。」

門弥

「わたしの考えは、上の人形を動かすのでなく、下の車を動かすというものじゃ。」

村人①

「えっ、山車が勝手に走るのかい?」

門弥

「その通り。」

村人②

「でも、山車じゃ重すぎるんじゃ・・・荷車なら軽いから、まだ走るかもしれないけど?」

門弥

「そうなんじゃが、荷車は使えないのじゃ。」

ナレーション

その頃の幕府は、大名や農民に力をつけさせないために、馬車などの乗り物の利用を制限していました。

しかし、その一方、海や川などでの船での輸送は盛んでした。

門弥

「陸を走る禁じられた荷車を使うのではなく。小船を使う。船に車輪をつけて、陸を走らせるのだ。動力は、水車を参考にする。」

村人③

「しかし、水車は水の力で動くのですよ?」

門弥

「足で踏んで、車輪をまわすからくりを作るんじゃ。」

村人①、②、③

「へー。」「ほー。」「ふーむ。」

ナレーション

ある晩、息子の善兵衛をよびました。

門弥

「善兵衛、ようやくひらめいた!大からくりを作るぞ。」

善兵衛

「父ちゃん、大からくり?そりゃ面白そうだなー。

でも、材料や職人に金がかかりそうだなぁ」

門弥

「誰も見たことがない、大からくりを作る。

善兵衛、本庄宿に出かけて、職人を集めてきてくれ。」

ナレーション

この頃、有名な伊勢崎銘仙の機織りが、本庄でも始まっていました。

門弥

「なかでも、機織り機を作る職人を一人、探してきておくれ。

この大からくりには、特別な木造り技術がいるからな。」

善兵衛

「よっしゃ。まかしとき!」

ナレーション

材木屋、機織り大工職人、船大工など、たくさんの人が集めれました。

材木屋

「軽くするために、木は軽い桐と丈夫な樫の木を使い分けよう。」

船大工

「全体を黒塗りにしよう。」

ナレーション

何ヶ月もかかり、ついに大からくりは完成しました。

道でこいでみると…

材木屋

「速い!実に速い!」

船大工

「一時(いっとき) に七里 (しちり) も走るぞ!」

ナレーション

時速にすれば14kmの速さです。

門弥

「千里の道走れる新しい車ができた。
名前は『千里車(せんりぐるま)』とつけよう」

ナレーション

その後、『千里車』は『陸船車』と呼ばれるようになりました。

しかし、3メートルに近い船が陸を走っているのだから、

目立たないはずがありません。お役人がやってきて…

役人

「門弥、お前さんとんでもない物を作ったな。

幕府のおふれで、新しい乗り物は禁じられてるのだぞ。」

門弥

「いえいえ、これはただのからくりの船でございます。」

役人

「からくりだと?

北堀村にはからくりの芝居小屋などないぞ。

そもそも見物客がいないだろう。おかしいではないか。」

門弥

「村の衆に喜んでもらおうと思っております。」

ナレーション

お役人は、おとがめを受けるかもしれないと、

このことを幕府に報告しました。

ナレーション

享保6年、 1722年は、将軍徳川吉宗の享保の改革の真っただ中です。

享保の改革とは、質素倹約、 贅沢をするなというものです。

新しい道具も、 本も、 お菓子も、服も、考えてはならん、 売ってはならん、

という新規御法度令が出されていました。

役人

「このからくりは、

新規御法度令に触れるのではないでしょうか?」

幕府役人

「将軍様が興味を持たれた。 実物を献上せよ。」

役人

「ははー」

ナレーション

将軍・吉宗は、新規御法度令を出したにも関わらず、好奇心の強い性格だったので、

陸を走る船に興味を持たれたのでした。

そこで陸船車は、4日がかりで将軍の住む江戸に届けられました。

町人みんな

「なんだ、なんだ?」 《口々に騒ぐ》

町人 1

「陸を走る船だとさ」

町人 2

「足で踏んで走っている」

町人 3

「こんなのみたことないぞ」

町人4

「すごいなー」 「おったまげたー」

町人みんな

「わいわいがやがや」 「すごい すごい」《口々に騒ぐ》

ナレーション

不思議な船の登場に、江戸の町はやんややんやのお祭り騒ぎ!

陸を走る船は噂になり、見物の江戸っ子たちが集まりました。

前進したり、 カーブもできる、不思議な船に江戸っ子たちも釘付けです。

ナレーション

ここは、京都。 からくり人形の芝居小屋、 竹本座。

出雲

「父上、 父上もご存じの本庄宿の門弥じいさんから飛脚がきました。

じいさんは、度々楽屋にも来ていましたが、

いつのまにやら、からくりの技術を身につけていたようです。

近江

「出雲、 何があったのじゃ?」

出雲

「父上、 門弥じいさんは、陸から走るからくりの船をつくったそうです。

足で踏むだけで速く走るそうです。」

近江

「ほー、 そうか。」

出雲

「それが評判になって、将軍に献上することになったのですが、

じいさんは、御法度の新しい乗り物として、

おとがめをうけるかもしれないと心配していまして…。」

近江

「新技術は御法度でも、庶民の娯楽のからくりに、おとがめがあすはずがない。」

出雲

「父上、 じいさんはこの船を使うからくり芝居を、竹本座で興行してほしいと。

さすれば、娯楽であることが証明されると。

江戸に人をやって、 うつし絵をつくらせました。」

ナレーション

さて、ここは、滋賀県彦根町。

「平石九平次殿、 今、江戸で評判の陸船車の噂を聞いておられるか?」

九平次

「うん、聞いた。 今、江戸に人をやって調べさせておる。」

「九平次殿も、陸船車に負けない新型を考えてはいかがかな?」

ナレーション

並外れた探究心を持つ九平次は、 報告書を基に、試作品を作り、

人力を駆動力に変える仕組みを考え、三年で、小型化された三輪の船型車

「陸舟奔車 (りくしゅうほんしゃ)」を完成させました。

ナレーション

門弥のたのみに答えて、「陸船車」 と名付けられた大からくりは、

竹本座の出し物となり、立ち見であふれるほどの大盛況となりました。

幕府から、 門弥へのおとがめもなく、竹本座の興行にも支障はありませんでした。

一方、滋賀の九平次は…

九平次

「陸舟奔車は、 まだ研究中だが、思うところあって、 これで中止にする」。

「門弥の作った陸船車は誠に優れた発明だ。 乗り物としての発展性が限りなくある。

門弥も、それはわかっていたに違いない。

歴史に残る優れた物は、一人だけではなく、

大勢の研究が積み重なって、実用化されていくものだ。

何代にも渡って引き継がれ、多くの知恵と工夫が加わって、完成に近づく。

船の形をした車、 船形車も、 門弥、 竹本座、 拙者の三代、

わずか5年でどんどん進歩している。 工夫を重ねれば、

自由に走り回れる便利な乗り物ができるだろう。」

「ではなぜやめるのですか?」

九平次

「こういう乗り物は、 今の世に必要ない。たとえ作れても、 走る道がない。

幕府に聞こえれば、おとがめも受けよう。」

「これからどうします?」

ナレーション

さあ、そして、世界では、 自転車はドイツで生まれ、

フランスで育ち、イギリスで成長しました。

1818年、ドイツでドライス男爵が足蹴り式のドライジーネ式を発明。

その後、フランスではペダルクランクによる前輪駆動の

ミショー式、イギリスでは前輪の大きいオーディナリー式、

三輪のトライシクル式と、次々に自転車が発明されていきました。

日本は鎖国のため、海外の影響を受けていなかったので、ヨーロッパより

90年も早い 門弥の発明は日本独自の発明であったことは間違いありません。

もし船形車が、三代限りにとどまらず、その後も研究が続けられていたら、

陸船車が世界最古の自転車と、世界から認められていたかもしれませんね。

ナレーション

時はさかのぼって、今から85年前。 1940年、 昭和15年のことです。

東京で開かれるはずだった、まぼろしの第12回東京オリンピック。

自転車競技は、東京から始まり、本庄が折り返しのコースに決まっていました。

このオリンピックは戦争により、まぼろしに終わってしまいましたが、

自転車発祥のこの本庄の地で、オリンピックが行われていたら、

門弥さんもさぞかしよろこんだことでしょう。

ナレーション

そして今年、再び東京でオリンピックが開催され、

ここ本庄では、「陸船車」 での聖火リレーが行われました。

「この世界初の自転車を発明した、庄田門弥の子孫、庄田善一郎が、

本庄市北泉小学校をつくった初代校長です。」 彼は言いました。

善一郎

「夢は、みるものではなく、叶えるもの!」

「《北泉小の皆さん》 皆さんの夢を応援していますよ。」

門弥

「みんなのおもしろい発明、わしもここで見守っているよ。」

ナレーション

空の上から、 門弥爺さんの声が聞こえたみたいです。

紙芝居

陸船車

本庄市聖火リレー

DSC_1133
リハーサル用に作製した金色のトーチ

4週間前