自転車産業遺跡を巡るポタリング

梶原利夫さんの発案で、2022年7月17日(日)に“自転車産業遺跡を巡るポタリング”を開催しました。これは、東京自転車歴史フォーラムのプレイベントに位置付けられます。

自転車の歴史に興味ある人を対象に、東日本における自転車史研究の基盤をつくることが、梶原さん主宰の東京自転車歴史フォーラムの目的。かつて土屋製作所(エバレスト)でビルダーとして活躍し数々の研ぎ済まされた美しい競争用自転車などを製作した梶原さんはまた、技術史家としての見識が高い。1732年(享保17年)に彦根藩士の平石九平次時光が作ったとされる“新製舟奔車”を調査して論文にまとめている。これは世界的には定説化されていない自転車前史である。歴史的出来事が定説になるには、客観的な証拠や証明が不可欠。そういった史的話題好きなマニアがポタリングに集まった。

日本に自転車が上陸したのは、明治初めのころ、外国人居留区にいた人がヨーロッパかアメリカから輸入したか、または慶応ごろに三輪自転車が輸入されたのかもしれない。慶応元年(1865年)刊の浮世絵「横浜開港見聞誌」には木製三輪車の錦絵がある。そんな話はさておき、東京の下町には欧米に追いつこうと努力して工業化した自転車製作企業の遺跡が多い。ポタリングで訪れた順に7カ所の“聖地巡礼”先をご紹介。

●「宮田製作所」本所菊川町3丁目3

平成2年に看板設置がされて墨田区教育委員会による文がある。

要は、<宮田製作所は、宮田栄介(1840〜1900)が明治14年(1881)に京橋木挽町1丁目(現在の中央区銀座)に創設した宮田製銃所から始まった。栄介はもともと笠間藩お抱えの鉄砲鍛冶師で廃藩後、砲兵工廠に勤めながら資金を蓄え、資産家の後援を得て本所菊川町に工場を移した>とある。ここでのキーポイントは砲兵工廠だ。これは6番目の聖地、瑞輪寺の梅津元晴墓にある碑文で繋がりが具になる。これ以上は、現地を訪ねてください。

ちなみに、現地は広大(敷地1600坪)な工場跡地なのにスパッと土地整理・整備がされずに民家や駐車場がある。その秘密は……。

工場の礎があまりに強固なので再開発されすに礎の上に駐車場や民家ができた、と梶原さんが路地裏に入って礎を指差して教えてくれた。

●「三田土護謨」東上野6―16

明治19年(1886)創業の三田土ゴムは、右川慶治さん(1860〜没年不明)が作った会社で、そのきっかけはイギリス製の自転車を修理しようとゴムタイヤに苦心していた工業高校の技師長に、「日本にはゴム製造の技術がない」と聞いたことが発端。右川慶治はゴム原料ひと塊を買って、硫黄を加硫する技術を開発……。

詳しくはこちらのサイトをご覧あれ。

株式会社右川ゴム製造所「右川ゴムの歴史」
https://www.ukawa-rubber.co.jp/company/history/

●「山口サイクルセンター」国電御徒町駅より厩橋方面徒歩約3分。

昭和30年代の第一次サイクリングブーム時代に大手メーカーだった山口の自転車、その「山口サイクルセンター」跡地へ。当時は4階建で、その3階にフランスやスイスのスポーツ車が展示されていて見学できた。現在のビル内には銅像と碑文がある。

梶原さん曰く、山口は大メーカーだったがスポーツ車はほとんど貸自転車に使われた。中小のスポーツ車ではカワスミが私は好きだった。

●「ゼブラ自転車製作所」&「セキネ自転車」三河島4

両社とも同じエリアにあった。工業団地のように同じ業態やその下請けが集まったのが三河島の辺り。ハブ、ペダル、ギヤクランク、ニッケルワッシャー、メッキなどの関連企業も多かった。

日本の工業型自転車萌芽は三河島にあって、明治は貸自転車用途のダルマ自転車、後にセーフティー型自転車を製造。

●「三浦製作所」西日暮里1-14

初期サイクリングブームの頃、日本で最初の本格的自転車倶楽部であるNCTCメンバーから信頼されていたブランドが三浦スペシャル!

●「瑞輪寺 梅津元晴墓」谷中4-2-5

砲兵工廠でフランス製自転車などを研究し、どのノウハウを多くの職人に伝えた偉人、梅津元晴氏の墓がある。碑文には梅津元晴の仕事が綴られてあり、日本の自転車工業萌芽期を読むことができる。

●「不忍池」台東区・上野恩賜公園

明治26年(1893)、第日本双輪倶楽部主催で日本人も参加した本格的なマイルレースは、不忍の池(競馬場)で開催された。ポタリングはここでお開き。

エピローグ

当日、参加者はほとんどが熟年男性。フラットハンドル、泥除け付き自転車も多かったが、いずれもマニアックなスタイル。流行に惑わされないナイスガイばかり。みなさん、今秋予定の東京自転車歴史フォーラムにもご参加ください!!

(文責:バックス事務所)

2か月前