デザイン力で稼ぐ(5)
2つのシンボルマーク

“黄金の80年代”を標榜するブリヂストンサイクル新社長石井公一郎。企画部長横芝正志に新しいシンボルマーク制定を命じた。時あたかもキャラクター獲得競争に血道をあげる自転車メーカー各社。最後に残された超有名キャラクター手塚治虫作品。商品化権を獲得するのはどこか?その裏で進行した秘められたシンボルマークづくり。その全容を語る。

(1)

「80年代には自転車は新しい時代に入る。いや我々が実現しなければならないのだ」

 ブリヂストンタイヤからサイクル新社長に就任したばかりの石井公一郎は、横芝企画部長に告げた。

「これまでは通勤・通学・買物などの実用や子供の玩具用が主だったが、もともと環境を汚染しない自転車は親しみの湧くヒューマンな乗り物だ。健康づくりやスポーツなど心豊かな価値感のなかで“自転車多様化社会”をつくりたいのだ」

 石井はその意義と目的を滔々と述べる。

「自動車タイヤと違ってすべての老若男女を顧客とする自転車は、タイヤと一味違うイメージが必要だ。だからブリヂストンサイクルの企業シンボルマークを、アニメのような誰もが目で見てわかる新しいデザインにしたい。ひいてはタイヤの顧客づくりにも役立つ」

もともと石井は歌舞伎の脚本を書くなど芸術センスに優れた才人。具体的な提案をする。

「そこでブリヂストンサイクルの企業シンボルマークを二つつくりたい。一つは、ミシュランタイヤのマスコットのようなイメージのもの。自転車もタイヤに似て外観的差別感が乏しいからね」

(フランスミシュランタイヤのマスコット「ビバンダム」。白いふわふわしたアンパンマンのような形をして通称「ビブ」、100年以上使われている世界最古のキャラクターの一つ)

「わかりました。早速新デザインにとりかかります。ところでデザインを手塚治虫先生に依頼したらどうでしょうか?」

手塚治虫は63年に始まった日本初のアニメTV番組「鉄腕アトム」以来、「リボンの騎士」「火の鳥」などの名作を次々に発表、“マンガの神様”とも称されていた。

「うん、それはよいね。それでいこう!」

(2)

続けて石井は言う  

「自転車の屋外看板だが、企業マークと商品名だけではどうも面白味が足りない。もっと印象的なデザインに替えたい」

(当時のブリヂストングループのシンボルマーク「キーストン」と呼ばれていた)
(「キーストンマーク+商品名」を組み合わせて使用する)

 横芝は聞く。

「自転車マークについては何かアイデアがありませんか?」

「そうだな、イギリスで19世紀後期に使われたペニーファージング(和名「だるま車」)をモデファイしたらどうかね?あれはよくできたデザインだ、数年前に当社でも使ったことがあるだろう?」

(ペニーファージング:76年ブリヂストンの「自転車の本」表紙)

確かにクラシックで美しい形をしていますね。それで取り掛かってみましょう」

(3)

間もなく、虫プロによる新しいシンボルマークができあがった。子供だけでなく大人にも広く親しまれ、しかも長期にわたって飽きないことが条件、一過性の際物のようなデザインは許されない。

(ブリヂストンサイクルのマスコット「シルバーモンキー」)

“自転車に乗れる唯一の動物は猿”ということで、キャラクター化し、愛称を「シルバーモンキー」と名付けた。

シルバーモンキーの出来映えはもう一つだった。どこといって悪くはないが、髭の生えたシニカルな顔付きで評判もよくない。

石井もそれほど乗り気でないらしく、否定はしないものの、当初のような意気込みは感じられない。

  そこで知名度を上げる宣伝を試みた。

「毎日小学生新聞」紙面に漫画化して連載してみたが、読者の反応は可もなし不可もなし。

ぬいぐるみをつくって販売店に配布、猿の特性を生かして展示車にぶら下げたり、POPを持たせたりして、相応の効果はあったが広がりはなかった。

長期間使い込めば評価されるとも思うがリスクも大きい。

そうこうするうちに石井は社長を退任、横芝も熱を失ってシルバーモンキーは自然消滅、いつしか幻のキャラクターとなった……。

(4)

 同時にだるま車マークのデザインができた。

 早速実験店舗をつくり大型看板を掲げたところ評判は上々。すべての屋外看板に採用され店舗に一味違うイメージを醸しだしていた。

(実験店舗に掲げられたシンボルマーク)
(「シンボルマーク+ブリヂストン自転車」の組み合わせ)

90年代になると、ブリヂストングループ全体に全商品のイメージを統一する「CI(コーポレートアイデンティティ)」が導入された。

だるま車はサイクル独自のマークとして、さらに一段とブラッシュアップされ継続された。

(シンプルにリデザインされただるま車)

ブリヂストンと虫プロが一体となって、シルバーモンキー知名度向上に努力するかたわら、突然自転車業界で手塚治虫キャラクター争奪戦が巻き起こった。

80年代初め日本テレビが手塚作品の版権一括取り扱い窓口になり、数多いキャラクターが一定額の契約でどれでも自由に商品化できると売込んだ。

仮面ライダーの成功以来、自転車会社はキャラクター獲得競争に乗り出し、「ウルトラマン」「どらえもん」など有名キャラクターを漁って商品化、残された最有力アニメが手塚治虫作品だった。

  のちに考えると、このころ既にキャラクター自転車需要は峠を越しつつあった。

だが人々はブームの渦中にいると、そのことに気が付かない。ブームは永遠に続くと思い込む。

横芝はそのことに薄々気が付いていたが過去の成功体験が邪魔をした。同時にこれまでの虫プロとの関係上他社に版権をとられることも不本意だった。

  ある日キャラクターの版権(商品化権)を担当している日本テレビの若い社員が、横芝を訪ねてきた。

「こうなったら、札束で顔を引っぱたいてくださいよ!何しろ人気のキャラクターですからね」

一流会社の社員らしからぬ下品な物言いをした

「実は破格の版権料を提示された会社が現れましてねえ……これまでの引き合いのなかでも飛び抜けています。1業種1社の建前ですから、自転車はシェアトップの御社にお願いしたいですがねえ……」

横芝は素早く胸の内で考えを巡らせる  

大手10社のなかで飛びぬけた条件を提示したのは中堅のあの会社に違いない。キャラクターは超有名とはいえ、このクラスの企業が極端な条件で商品化権しても採算が合うはずがない。

「そんな会社がありますかね?」

横芝は皮肉まじりに聞く。

「Fという頭文字の会社さんです」

やはりそうか! 相手の条件を漏らして版権料を吊り上げる若い社員のストレートな駆け引きを不快に思いながら反論した。

「その条件は、販売台数1台毎に版権料3%を支払う形式でしょう?確かに売れれば売れるほど金額が多くなりますが、売れなければ絵に描いた餅ですね」

当時キャラクターを商品化するのは、玩具や菓子など小売単価の安い商品がほとんどで大ヒットしない限り版権料総額はそう高くはない。自転車のような高額商品はヒットすれば高額な版権料になる。

「もちろん、売れても売れなくても年間販売計画の一定割合を最低保証金として契約時にいただきます」

「では、高い保証金を要求してみたら?」

  ブリヂストンの提示した条件は、1台毎の版権料ではなく、実績に関係なく毎年一定額の年間使用料を支払う滅多にないやり方だった。

この方式は、版権元にとって売れても売れなくても年間収入が確定できるメリットがある。もし大ヒットした場合、逸失利益を考えて損をした気分にはなるが……。要はリスクをどちらがとるか、の問題だった。

「問題は契約期間ですね。1年だけなら何とでも契約できるしょうが、複数年契約はできないでしょう?何しろFさんの販売店は全国6千店程度、当社は2万店を超えしかも大型店揃いです。販売力が違いますよ」

担当者の顔を見ると、どうやら図星のようだ。

「当社なら3年契約します。場合によっては延長もできます」

金額引き上げには応じないから他社に頼むならどうぞ、と婉曲な言い回しで要求を断った……。

(6)

手塚争奪戦は、最後まで競っていたF社を排除してブリヂストンが獲得、「鉄腕アトム」「ジャングル大帝レオ」「リボンの騎士」など商品化した……。

(83年以降ブランド「アイドル」で商品化された男女手塚治虫キャラクター自転車)

 今日現役を引退した横芝は時に触れ過ぎし日のキャラクター争奪戦を思い出す。

やはりそうだった。手塚自転車は元は取れたが思うほどには売れなかったなあ。キャラクター自転車そのものの重要が峠を越していたのだ。相場格言「まだはもうないもうはまだなり」は生きていたなあ。

それにしても海外では日本のキャラクターが全盛期を迎えている。日本でも盛り返している。これからどうなることかな……」

4か月前