ファミコン生みの親・上村雅之さんの思い出

任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)を開発した上村雅之さんが、本年(2021)12月78歳で亡くなられた。

   話はおよそ35年前、バブル景気に日本中が湧いていた1980年代半ばのある日のこと。

一人の中年の男が、当時ブリヂストンサイクルに勤務していた筆者に面会を求めてきた。名刺を見ると「任天堂開発第2部長 上村雅之」とあり、山内溥任天堂社長の紹介で来社したと言う。

用件を聞くと、ファミコンを使う新しい自転車型の健康機をブリヂストンと共同開発したいと述べた  

「ファミコンは、83年の発売以来新しいゲーム機として子供たちに爆発的に売れています。いまは何の心配もありませんが……」

(大ヒットした初期の任天堂ファミコン)

上村さんは一息入れて語り継いだ。

「このブームもいつか衰えるときがくるかもしれません。事実アメリカでは、アタリ社という玩具メーカーがファミコンに似たゲーム機を発売したことがありましたが、一過性のヒットで終わってしまいました」

と、ポスト・ファミコンの危惧の念を説明する。

「人気がなくなれば、ファミコンはテレビから取り外されてしまいます。そうならないために、子供のゲーム以外の用途を研究しています。もともとファミコンには簡易コンピュータ機能があるので、大人用の使い方がいろいろあるはずです……」

大ヒットの後にはピンチが来る、将来に備える任天堂の話はよく理解できた。

「そんなわけで、ファミコンと連動する自転車型の健康機を開発して、大人が楽しみながら運動できるシステムを商品化したいのです。例えば健康機に乗ってペダルを踏むと、テレビ画面に移り変わる風景やスピード測定のような走行状態を表すイラストが映るなどです」

  一も二もなく任天堂の姿勢に賛成、両社の共同プロジェクトがスタートした。

その後上村さんとは、7~8年にわたって数か月に1度東京や京都などで会議を持つことになった。

打ち合わせ中はもちろんのこと、仕事を離れたときでも研究者らしく穏やかで冷静、決して激することはなく、常に淡々と語る上村さんの姿はいまも記憶に残っている。

その思い出話の一つ  

「千葉工大を出て早川電機(現シャープ)に就職した。担当したコンピュータがあまり好きでなく、早川は転勤の多いこともあって、引き抜きの声がかかったのを幸いに、京都に定住できる任天堂に転職した。そうしたら本格的にコンピュータに取り組むことになった……」と苦笑する。

  1988年プロジェクトから2つの商品化が発表された。

一つは 、ファミコンを使う新しい自転車型健康機システム。

(テレビとエルゴメーター(FFS)をファミコンでつなぐシステム)
(ブリヂストン・エルゴメーター定価30万円)

  後日、自転車物語WEBの「自転車昔日抄」欄で「ファミコンフィットネスシステム(FFS)」についての開発秘話を掲載予定です。

二つ目は、自分の好きなパーツを選択してファミコンで発注、世界に1台しかない自分だけのオーダー自転車をつくる「レイダック・オーダーシステム」。

(自転車店頭のファミコンで発注するオーダー自転車システム)

  詳しくは自転車物語WEB収録「自転車昔日抄」・オーダー戦争(2)テーラーメイド巻き返すか」をご覧ください。

オーダー戦争(2) テーラーメイド巻き返すか

なお、任天堂はほぼ同じ時期に、4大証券と組んでファミコンで株取引ができる「ファミコン・ホームトレード」を立ち上げている。

  2004年、上村さんは任天堂を定年退職して立命館大学大学院特任教授に就任、そのころから筆者との交友も自然に途切れていった。

その後も上村さんは京都に定住、同大学に関与しながら後進の育成に尽力されたという。

立命館大学映像学部時代に開講されたゼミナールのテーマが「遊びの映像化」と聞くと、上村さんの柔和な笑顔と密度の高い交友の日々が筆者の脳裏に浮かんでくる……。

10か月前