英国覇権を握る/第四世代安全車

ドイツ・フランス・イギリス3国による自転車王国の覇権争い。第三世代自転車巨大前輪のペニーファージングでイギリス勝利。更なる高みを目指す絶対王者イギリスとその武器となった19世紀末の第四世代安全車発明物語。

安全と速度の両立
第四世代自転車開発なるか

 9世紀後半、ペニーファージング(だるま車)全盛期のイギリス  

 集団(クラブ)サイクリングだけでなく、自転車レースが盛んになり、勝つために安全よりスピードが優先されていた。

 速度を増すために前輪は大きくなる一方だった。走行中に前輪がつまずくと、身長ほどもある高さから前のめりに落車して大ケガにつながる。ブレーキはあったものの、スプーン型の金属板で前輪を押す構造、あまり利きがよくない。

 もっと安全にすべきだ!前輪を小さくしてもスピードは出る自転車を開発しよう!

   これが、世界の自転車発明家たちの新しい目標となった。

 1870年代半ば、かねてより健康に不安を感じていたペニーファージング生みの親ジェームズ・スターレイは、甥のジョン・ケンプ・スターレイとその友人ウィリアム・サットンが設立した「スターレイ&サットン」に自転車事業を譲渡した。

 これに安心したのか、1981年ジェームズは51歳の若さで死去する

 一方、ジェームズの共同経営者ウイリアム・ヒルマンはスターレイ一族と袂を分かち、コベントリー最大の機械会社経営者ハーバード兄弟と手を組み「ヒルマン&ハーバードサイクル」を設立。自転車・ミシンや需要の大きいローラースケートの大量生産を開始した。

初のチェーン駆動車「カンガルー」
巨富を築いたヒルマン成功物語


 1878年ヒルマンは、チェーンを使った初の前輪駆動車「カンガルー」を発表した

 (前輪中心部にチェーン駆動を組み込んだヒルマン「カンガルー」)

 前輪の大きさは、一般的なペニーファージングの直径140cmにくらべ、50cmも小さい91cm。小さくても速度は増し、ペダルを踏む持続力も向上していた。

   性能を実証するために100マイルレースを実施。

 優勝者ジョージ・スミスのタイムは、7時間7分11秒、時速22、6km。当時のスピード最高記録であった。

 ついにヒルマンは、ペニーファージング初めての速度と安全の両立に成功した……。

 さらに事業拡大のため、ロンドンの起業家ジョージ・ビバリー・クーパーに出資を仰ぎ、ヒルマン&ハーバードサイクルを「プレミアサイクル」に改称。世界最大の自転車メーカーになったと主張したという。

   ヒルマンは優れた技術者だっただけでなく、野望に満ちた事業家でもあった。

 プレミアサイクル事業と並行して、故郷のコベントリーに個人所有の自転車会社「オートマシナリー」を設立、これまた大成功。当時の自転車はとても高価、一介の靴職人の倅に過ぎなかったヒルマンは、人もうらやむ有数の大富豪になった……。

第四世代初期の後輪チェーン駆動車
ローソンの「バイシクレッタ」

 ヒルマンのカンガルー発表から1年遅れた1879年、英国人ヘンリー・ジョン・ローソンは、前輪と後輪の間に位置するペダルを踏んで、チェーンを使って後輪を回転させる後輪駆動方式を考案した。

(中央のペダルを踏んで後輪を回すローソン「バイシクレッタ」)

 前輪は102cm。ペニーファージングと比べて小さく、逆に後輪は61cmと大きい。前フォークを斜めにして、サドル位置を後方に下げる設計により、低重心で足が地面に届く。安全性、操縦性が格段に向上した。

 この初期第四世代自転車は「バイシクレッタ」(2つの小輪)と名付けられ、現在の「バイシクル」(自転車)の語源となる。専門用語では「安全型(セーフティ)」とか「安全車」と呼ばれている。

   ローソンには発明の才はあったものの商売は下手だった。バイシクレッタを数十台製造したがあまり売れない。

 ペニーファージングの前後車輪のバランスのよい曲線美に比べ、安全だが不格好だと悪評が立ち、“クロコダイル(鰐)”そっくりだと揶揄された。

 金がなく特許で防御ができないうちに、市場には類似の安全車が、BAA・ハンバー・マキャモン・スイフトなどから次々に発売される。

進退窮まったローソンに救いの手を差し伸べたのは、ハブベアリングの発明で知られた大手自転車メーカー社長ダン・ラッジ。安全車の効用を認めてローソンの工場を買収、バイシクレッタの普及に努めた。

   ヒルマンとローソンは、チェーン駆動式初期安全車の道を拓いた功労者であった。

現代自転車の原型現る
「ローバー・セーフティー」

 1885年、ジェームズ・スターレイの甥ジョン・ケンプ・スターレイは現代自転車の原型となった「ローバー・セーフティー・バイスクル」を発表。ローバーとは、自由に動き回る“放浪者”の意である。

   これこそ自転車史に燦然と輝く真打ちの登場であり、第四世代自転車の完成であった。

(現代自転車の原型となったジョン・ケンプ・スターレイ「ローバー」)

 前輪(直径76cm)と後輪(同71cm)ほぼ同一サイズの後輪チェーン駆動方式。フレームは菱形で現代の三角形のダイヤモンド型に近い形状だった。

 いわばヒルマンやローソンたちの初期安全車の長所を総合的に取り入れた、安全車の決定版であった。

   ところが、最初の発表会では、案に相違して不評だった。

 「見るからに、もぞもぞするカブト虫かシラミのようで醜い」と酷評された。見た目にはペニーファージングの曲線美には敵わない。

 ジョンは、自転車はデザインより性能だと、衆目を集めるために警察が禁止している100マイルレースを実行した。

 レース当日の出発地点には、中止させようとする警察と多くの観衆が詰めかけた。が、スタート時間が来ても、選手や関係者は誰もこない。スタートとゴールを逆にして、レースはゴール地点から始まったそうだ。

 結果は、ヒルマンのカンガルーレースと同じスミス選手が前回を2分短縮したタイムで優勝。車輪が同一サイズでも、スピードと安全の両立が可能なことを実証した。

   レースの効果は大きかった。

 低重心で操縦性に優れている
 足がすぐ地面に着き安全性が高い
 誰でも少しの練習で容易に乗れる。

 これらの長所は広く知れ渡り、ローバーは大ヒット、欧州諸国にも輸出される。

 ジョンは、スターレイ&サットンを「ローバーサイクル」に改称、ローバーは最も売れた後輪駆動車として自転車の代名詞になった。

 ローバーの出現により、それまでスポーツ性の高かった自転車に実用性が加わり、女性も自転車に乗り始める。

(チェーンを覆う全ケースやドレスガードのついたローバー女性車)
(現代自転車の発明者ジョン・ケンプ・スターレイ)

 1901年、ジョンは46歳の若さで突然死去。今日では「現代自転車の発明者」と讃えられている。

イギリス王国、世界を制覇
更なる道は自動車への進出

 第三世代ペニーファージング・第四世代安全車と歴史的な発明が相次いだイギリスは、始祖足蹴り式を生んだドイツ、第二世代前輪ペダル駆動車を量産したフランスを凌ぎ、世界の自転車王国を築いた。

   20世紀に入ると、自転車メーカーはエンジンを使うオートバイや自動車事業に進出した。

 その筆頭はローバーである  

 ジョン亡き後の1904年、後継者たちは社名を「ローバーカンパニー」と改称、自転車、オートバイ(共に1925年まで生産)に加えて自動車の生産を開始した。

 自転車で築いたローバーブランドは自動車の世界でも通用、英国王室も愛用する自動車のトップブランドの一つになった。

(1905年2人乗りローバー)

 カンガルー自転車で一山あてたウイリアム・ヒルマンも、1907年自動車に進出。1921年73歳で没するまでイギリス自動車産業の一角をなす活躍をした。

(20世紀初期のヒルマン自動車)

 その後イギリス自転車産業の衰退とともに企業は消滅したが、ローバーとヒルマンは自動車史に輝くブランドとして、人々の心のなかに残っている。

4日前