鳥山新一さんを偲ぶ

団塊の世代で自転車好きなら知らない人がない鳥山新一さんは、5月19日に心臓疾患でご逝去された。1919年東京生まれ。享年102歳。

日本のサイクリング界への貢献を振り返る。

こんなエピソードがある。

戦時中にNCTC仲間の菅沼達太郎さんと一緒にサイクリングをしていた鳥山新一さんは憲兵に呼び止められた。二人は英国式に目的地を定めないランブリングの最中だったので、「どこに行くつもりだ」と憲兵に問われても答えられず、往復ビンタを浴びたうえに持っていたカメラの裏蓋を開けられてフィルムを日光に晒された。

鳥山さんが1952年に通産省の業務としてヨーロッパ視察に出かける際にはNCTCは餞別を渡して送り出したが、3カ月後に帰国したら英国式サイクリングを旨とするNCTCとは異なるフランス式サイクリング文化の信奉者になっていた。2枚の写真は賀状。

英国式の目的地を定めずに走るランブリングでなく、ヴェロシオが提唱したAからBに走るランドナースタイルへの転向。軽量部品やスポーツ自転車を持ち帰った。そう、ルネエルスの完成車である。

タンデムが好きだった。タンデムの普及構想を持ち、赤いママチャリタンデムをサイクリング協会の各地に寄贈したそうだ。

鳥山さんがサイクリングの入門書を1964年に執筆するとよく売れた。自転車の基礎理論、運動力学、人間工学など技術面の体系を語り、“3点調整法”による乗車姿勢を提唱。70年代にかけて大手版元から相次ぎサイクリング入門書を出版。NCTCメンバーの書いた本の売れ行きは芳しくなくなった。

鳥山さんはタイヤメーカーから自転車に参入したブリヂストンサイクルと関わってSS-10という旅行車をリリースさせてこれもよく売れた。完成車だけでなくパーツやアクセサリーなど、「自転車業界で鳥山新一の影響を受けないメーカーはない」と業界の重鎮に言わしめた。マスプロ各社は鳥山の唱えたランドナー、ミキスト、スポルティーフ、ロードレーサー、キャンピングなどの車種体系に沿った商品をラインナップ。1人の消費者が複数の商品を購入。

親戚筋の板倉 修さんと一緒に『東京サイクリングセンター』を興した。ブランドは“ゼファー”だ。表向きは板倉さんが経営し、自らはアドバイザーである。丸都自転車から腕っこきのビルダーである打保梅冶さんを東叡社に引き抜いてゼファーを作らせ、販売は一手に東京サイクリングセンターとする心算であったようだ。だが、意図に反して東叡社は神田のアルプスをはじめとする多くの小規模メーカーや個人の要望に応じて工芸品ともいえる自転車を作った。

マニアもまた、鳥山理論に沿って何台も趣の異なる自転車を誂えた。ショップのセミオーダーオリジナル車も含めれば、非マスプロ自転車ブランドは百花繚乱。恩恵を受けたのは大手メーカーだけではない。そんな時代に、ゼファーの広告に鳥山さんがこんなコピーを書いている。――大工さんでも犬小屋を作る大工さんもあれば、神社仏閣を作る大工さんもあります。自転車もその通りですーー

2010年、91歳になった鳥山さんは創刊雑誌『CYCLO TOURIST』のインタビューに応じた。これが公な場に姿を現した最後だった。

晩年は自宅をはじめ鳥山研究所の書籍・資料をすべて処分して、夫妻で青梅の老人ホームに移り住んだ。

「鳥山さんの総論があったので、自転車の細部を深く考えられた。彼がいなかったら日本のサイクリング界の裾野はこれほど広がらなかった」とマニアが語ってくれた。その通りです。

合掌。

1週間前