デザイン力で稼ぐ(2)
三宅一生/セリーヌ/クレージュ

デザイン戦略による女性車需要拡大に成功。が、安売り競争勃発。脱廉価の高級車戦略とは?有名ブランドの商品化に挑戦。世界のファションデザイナーたちにまつわるエピソードを語る。

(1)

 ブリヂストンサイクル企画部長横芝正志は、イタリア・トリノ空港のバゲッジクレインで、パリで預けた手荷物が出てくるのを待っていた。

 コンベアのまわりに群がっていた乗客は、それぞれの荷物を下ろして次々に姿を消し、うろついていた麻薬犬もいなくなり、コンベアは静かに停止した。

 横芝はそれを見届け、近くにいるアリタリア航空の女性係員に申し出た。

 「私のバゲッジが出てこないのだが?」

   1984年春の夜遅いある日の出来事であった。

(横芝はイタリア・トリノ空港で荷物を待っていた)

 「どんな形なの?」

 「太さがこのぐらい、長さがこのぐらいの厚い紙筒」

 横芝は、直径20センチ、長さが1メートル半ぐらいの大きさを、手を広げてジェスチャアする。

 女性係員はあたりを見回し、それらしいものがないかを確かめ、どこかに電話をした。

 「パリからの荷物は全部終了。残りはもうないそうよ」

 「そんなはずはない。大変な貴重品なのだ。すぐ探して欲しい!」

 手荷物受取タグを示しながら、強く要求する。

 「今晩はもう無理、明日探します」

 探せ、できない、と押し問答の末に横芝はあきらめた。

 「見つかり次第、トリノ駅前のホテルチューリンパレスに電話してね」

 デザイン料が1.500万円もした代物だ、しっかり探してくれよ、と心のなかで毒づきながら、空港を後にした……。

(2)

 翌朝もアルタリア航空から連絡はない。問い合わせても、もう少し待ってと繰り返すだけである

 午後から別件の会議に出席、夜遅くホテルに帰ったが、何のメッセージも入っていない。たまりかねて3日目の朝、タクシーで空港に駆けつけた。

 勢い込んで問いただす横芝の焦りを尻目に女性係員は、

 「他の空港への誤送がないか照会中よ。紙筒の中身はなあーに?」

 のんびりした応答に、怒りがこみあげてくる。

 「あなたも知っているフランスの有名なデザイナーセリーヌのデザイン原画、世の中に二つとない。なくなったら賠償請求する!」

 ようやくもう一度調べ直すことになり、1時間ほど待たされた挙げ句に見つかったと連絡がある。

 コンベア搬送中に暗渠のような場所に転がり落ちて、死角になっていたという。

 やれやれ助かった。これで試作車がつくれるな……。

(3)

 高度経済成長期を経て都市化が郊外に広がるにつれ、通勤・通学・買物用に女性車需要が拡大していた。

 一方、スーパー販売の増加により安売り競争が激化。女性車は機能による差別化が難しく、たとえできても模倣車が現れ、アッという間にコモディティ化する。

 かねがね横芝は、消費者の心に訴えるブランドやデザインによる差別化は、安物競争を避ける有効な戦略の一つと考えていた。

 世の中を見渡すと、円高とバブル景気によって、アルマーニやルイヴィトンなどの欧米高級ブランドが持て囃されている。

   横芝はそれらの有名ブランドを付けた女性車を企画した。

 デザイン料は高額になるだろうが、あまり売れなくてもかまわない。価格競争に歯止めをかけ、自転車の価値観を高めるイメージ効果は大きい。採算は度外視しよう。

 だが、有名ブランドはイメージを大切にする。ファッション外の商品にブランドをつけることを承諾しないかもしれない。まして自転車は屋外で泥にまみれる。交渉は難航することが予想された。

   まずは日本人デザイナーからと、三宅一生事務所と交渉する。

 案の定、デザインは引き受けるが、自転車に「イッセイミヤケ」ブランドを付けたり、三宅一生の名前を宣伝に使用しないことが条件だと言う。

 1981年女性車「ボレロ」が発売された。

(1981年「ボレロ」定価39.800円

 ボレロのデザインはそれまでの女性車の概念を破るものであった  

 フレームは柔らかい女性的な曲線でなく男性的な直線H型。部品は新しいものは何もなかったが黒塗りを多用。マークも原色のシンプルなラインだけ。もちろん三宅ブランドはどこにもない。

   これに関しブリヂストンサイクル石井社長と、松下電器岡田自転車事業部長の東西トップ対談録が残っている。その一部を要約する。

 石井 顧客を高級化志向にすることは意義がある。ボレロは年間2万台と予測したら6万台以上売れた。1車種では例がなくまさに驚きだった。しかも(過去に売れたことがない)赤色ばかりが売れた。ファッション性の強い商品は安売りされにくく、業界を活気づけるメリットもある。

 岡田 デザインは時の流れに合わせる努力が難しいが反面やりがいがある。当社でも販売持続性のない黄色が売れている車種がある。デザイン的には、フレームの形状一つとっても新しい可能性がある。

 石井 年間需要が30数万台増えたが安物中心。価格3万円以下は廉価車、25.000円以下は超廉価車とされるが、ボレロは39.800円。高級化に成功した。(安売りで物議を醸している)松下のハーモニーは24.800円、採算がとれるのか?

 岡田 安売り商戦は峠を越した。ハーモニーは1年続けたが転換期にある。 

   その後、松下はハーモニーを廃車。ボレロと前後して、ファッションデザイナー・森英恵による女性車「セルシー」を発売した。

(ナショナル自転車 森英恵の「セルシー」と新車発表会)

(4)

 横芝は、ボレロに続いて宣伝にも使える欧米有名ブランドを探した。それぞれの日本代理店に当たったがどこも応じない。

 そのなかで、フランスのセリーヌの代理店から、可能性があるが日本では結論が出せない、パリに行って直接交渉したら、と回答があった。

(セリーヌブランド。左が一頭立て二輪馬車のマーク「サルキー」)

 横芝はイメージした。セリーヌを女性車につければ高級感がでるなと……。

   横芝は代理店の紹介状を携えてパリに出張、マダムセリーヌに面会してデザインを依頼した。

 「セリーヌは子供靴で創業して、いまではバッグなどのファッション用品が専門。自転車のような金属製品は全く経験がないのよ」

 マダムセリーヌは、初っ端から素っ気ない。

 「屋外に放置される自転車に、セリーヌブランドをつけることは、イメージ的にも問題があるわ……」

 案の定、断られそうである。横芝は日本の事情を説明した。

 「日本の女性車は実用中心の地味なものばかり、品質がよくても価格が高いと売れないのです」

 通訳を介して、高級ブランドの必要性を懸命にアッピールする。

 「思いっきりファッショナブルなデザインで、日本人の価値観を変えたい。セリーヌさんにフランスの自転車文化のエスプリが感じられるデザインをして欲しい」

 「そうは言っても、機械的知識がないと、デザインだけでは自転車の商品化は難しいのでは?」

 「いや、全体のスタイルやカラーリングを紙に落としたデザイン画があれば、当社で試作車をつくります。セリーヌさんはそれを監修すればよい」

 おだてたりすかしたり、説得を続けた。

 「セリーヌさんが唱えている、カジュアルとクラシック、スポーティとエレガンスという、相反するテーマを両立させるデザイン思想に共鳴しています。そんな自転車をつくりませんか?」

 交渉は難航したものの、どうにか成立した……。

(5)

 数か月後、横芝は再びパリに行き、細かい説明を受けたのちデザイン画を受け取った。

 帰りにイタリアに寄り、トリノ空港でトラブルに見舞われたが、無事日本に持ち帰り試作車づくりに注力した。

   それから半年後、お供を引き連れ来日したマダムセリーヌが上尾工場を訪れた。

 セリーヌは、真新しい試作車に手を触れ眺め透かし、細部まで仔細に確かめると、満足した様子で「トレビヤン!トレビヤン!」と連発した。

 「ムッシュ・ヨコシバ、これを貸してくれませんか?来週東京で開くファッションショーで使います」

(セリーヌのファッションショー会場に登場した試作車)

(6)

 1984秋「シルエットセリーヌ」4車種が発売された。

(1984年「シルエットセリーヌSECL」 定価300.000円)

 最上級モデルは、いかにもフランスらしい優美な曲線フレームに、起毛感のあるゴージャスな新開発「ラビ塗装」を施し、全体は茶、金、黒色でまとめ上げられていた。セリーヌロゴが輝いていたことはいうまでもない。

 金メッキ(24K)が施された部品は、ハンドル・ギヤクランク・前後キャリパーブレーキ・ブレーキレバー・前後ハブ・ドロヨケスー。

 人が触れたり目立つ部品は特製レザーで覆われていた。ケース目玉・フロントボックスの内外・グリップ・サドル・ドロヨケセンター部である。

   金色に輝く小型バスケットとランプを装備し、金色リムに白いタイヤを履いた姿は、まさに女性車の女王。価格30万円で30台の限定販売で、たちまち完売した。

 取扱説明書には、「雨天では使用を避け、時々柔らかい布で乾拭きして泥を落とせ」とまさに貴重品の扱い。それはあたかも、自転車は村に1台しかなく、“村長さんの自転車”と呼ばれて床の間に飾られた明治期のエピソードを彷彿とさせた。

   量販モデルSECは、セリーヌイメージを保ったままスペックを変え実用性を増し定価88.000円~47.800円まで3機種編成であった。

(1984年「シルエットセリーヌSEC」 定価88.000円)

(7)

 横芝は、三宅一生・セリーヌに続き、“柳の下に泥鰌は三匹”とばかり、フランスのデザイナーアンドレ・クレージュにデザインを依頼した。

   2年後発売された女性車「クレージュ」は、5車種43.800円~33.800円の普及価格帯にラインアップされていた。

(1986年「クレージュ」定価43.800円)

 クレージュの特徴であるピンクやブルーのソフトカラーが、それまでの自転車にない色調としてヤング層に高く評価された。

(8)

 やがてバブル経済が弾けデフレ時代が到来。再び自転車の廉価傾向が高まると、有名ブランドの女性車は市場から姿を消していった……。

   今世紀に入り、金色に輝く女性車セリーヌが、人気テレビ番組「古畑任三郎」(主役田村正和)に登場、話題になった。

 クラシック自転車がお宝ブームになっている昨今、30台限定30万円のセリーヌがいまでも残っていれば、いくらの値段がつくのだろうか? 

1か月前