「こころの玉手箱」と自転車調整法

 日本経済新聞夕刊連載のエッセイ「こころの玉手箱」には、人生で心に残った思い出の品として、しばしば自転車が登場する。それほど自転車は人々と深いつながりがある……。

 数年前、映画監督の坂本晋也さんが同欄に一文を寄稿された。遅ればせながら、その一部を紹介させていただく  

 表題は、ずばり「自転車」。「都市から自然へと走り出る」と見出しがあり、以下の記述が続く。

「地球上で一番好きな乗り物が自転車だ。無駄なものがなく、シンプル。むき身の機能美を感じる。しかも乗っていて、すごく楽しい。」

(18.12.12付け日本経済新聞夕刊記事)

   坂本さんは小学生のころ、小さなヨットで太平洋を横断した堀江謙一さんの冒険にあこがれたという。

 「ヨットも自転車に通じる。小さな乗り物で、自分よりちょっと速いスピードで、ガソリンなどの力を借りずに走る。」

 「再び冒険への渇望がよみがえったのは30代後半だ。(略)冒険のためマウンテンバイクを買った。ゴアテックスの雨具も。しかし前傾姿勢が体に合わず、ぎっくり腰になり、諦めた。」

 そして末尾は  

「自転車はその後も乗り続けている。結局、2万8千円で買った普通のアルミ自転車が体にぴったり合い、16年間も乗っている。(略)交通費がかからず、有酸素運動で体によい。しかも早く着く。できることならずーっと走っていたい」

   まさに自転車賛歌である。今風に言えば“自転車愛”であり、生涯の伴侶の扱いである。

が、読み進めるうち「前傾姿勢が体に合わず」とか「体にぴったり合う」という表現が気になった。

 そこで、かつて鳥山新一さんが提唱した「3点調整法」を思い出した。

    戦後自転車は実用車だけ。メーカーはスポーツ車の新需要喚起につとめ、イギリス流の集団で走るクラブツーリングがブームになった。当時は自転車の規格や乗車姿勢への関心はほとんどない。

 これに対し鳥山さんは、ランドナー(小旅行用)・スポルティーフ(長距離快走用)など、個人で楽しむフランス流のサイクリングをすすめ、自身が医学を修めたこともあって、人間工学の見地から3点調整法を提唱した。

すなわち「自転車は体格に合ったサイズと正しい乗車姿勢」であるべきと言い、「ライディングフォームは、手と尻と足の位置、すなわちハンドル・サドル・ペダルを調整して決める」と説いた。日本サイクリング協会の幹部として、多くの講演や著書で啓蒙につとめた。

(鳥山新一著「最新・サイクリング百科」1966年刊)

 もともと体格に合った自転車は、基本的にはフレームサイズで決まる。

が、サドルは上下と前後に移動でき、ハンドルも上下はもちろん、突き出し部の長さを換えれば前後にも調整できる。またドロップハンドルのように走り方に合わせて3カ所の握りを変えるハンドルもあり、部品で体格に合わせることができる。

(Bを基にSとHの位置を決める「3点調整法」)

   しかし簡単な調整法もある。

 3点調整法とは、突き詰めればサドルの高さを決めること。軽く膝を曲げて効率よくペダルが回る位置に調整する。スポーツ車では、普通は足が地面につかない高さになる。

   1981年ブリヂストンでは“スポーツ車を科学する”というテーマで、正しく安全な乗り方を啓蒙するキャンペーンをはった。足の長さを測ってサドルの位置を決める「サイクルメジャー」(鳥山新一設計)を全国の自転車店に配置、スポーツ車の普及に努力した。

(ブリヂストンの「サイクルメジャー」:股下サイズを測る器具)

   80年代後半になると、アメリカからマウンテンバイク(MTB)が日本に入ってきて、調整法が変化していく。

 MTBのオフロード走行では、乗りやすさや安全のために、地面に足がつきやすい低いサドル位置が求められた。

 さらに女性の多いシティーユースの軽快車やミニサイクルでは、走行性より安全性を重視、サドルに跨って両足のつま先が地面に着く高さがよいとされている。

 今日、「日本サイクリング協会(JCA)」のホームページを閲覧すると、3点調整法に基づきながら、軽快車・MTB・ロードレーサー・ランドナーの4種類の調整のしかたが解説されている。

   改めて、こころの玉手箱の「もう16年間も乗っている」と説明のある、坂本さんの愛車写真を見た。

 バスケットや泥よけが付いていて、通勤など実用に使うシティサイクルである。特徴的なことは、サドルポストが長く、サドルの位置がとても高いことだ。おそらく背が高いのだろう。

 坂本さんは乗車姿勢にあった自身の調整法を会得されたに違いない……。

(追記)「こころの玉手箱」に掲載された自転車について、これまで「角田安正・雑記帖」欄で下記の記事を紹介しています。併せてご高覧ください。

〇弁護士福井健策さんの「ブリヂストンの自転車」

マーケティングのこころ – 自転車物語Web (jitenshamonogatari.com)

〇劇作家佐藤信さんの「町の雰囲気感じる自転車」

自転車の普遍性 – 自転車物語Web (jitenshamonogatari.com)

〇ダイセル社長小河義美さんの「自転車」

サイクルキャンピング – 自転車物語Web (jitenshamonogatari.com)

4週間前