1989年のテーマ車アルミグラ大失敗。MTBも低迷。迫りくる中国台湾廉価車の大量流入。10年間ヒット車を連発して、“黄金の80年代”を謳歌したブリヂストン。ついに落日か?業界注目のなか、命運を賭けた起死回生の一手を放つ……。
(1)
「社長!お言葉ですが、私は反対です!」
ブリヂストンサイクルの企画部長横芝正志は、商品委員会の席上真っ向から反対意見を述べた。バブル経済絶頂の1990年のことである。
商品委員会とは、社長を議長に関係部署の責任者が委員になり、商品に関する基本方針を決定する会議である。
その日は、開発中の新発電ランプについて、冒頭から紛糾していた。
「何が反対なんだ!」
社長は西田眞一郎という。前社長徳永徳次郎の後を受け、自動車タイヤの技術担当常務からサイクルに転出してきた根っからの技術屋である。
「いま説明のあったランプは、自転車に乗車中なら、夜も昼もいつでも明かりが点いている“常時点灯”が特徴ですね?でも、昼間は必要ないのでは?ランプは夜点けることが常識です」
「何を言うか!常識を破ってこそ、新製品は売れるものだ!」
思わず社長は、気色ばんで反論する。
「常時点灯は交通安全に効果があるのだ。オートバイでは、夜間だけでなく昼間もランプを点けて走っているだろう?自動車でさえ、北欧では昼間点灯を義務付けている国もある」
社長の声は一段と熱気を帯びた。
「だから“自転車の夜間無点灯走行を防ぐ”ことを訴えるのだ。常時点灯を、安全のための新しいライフスタイルとして提案すれば、十分にセールスポイントになる!」
事実10年ほど前から、警察の交通安全運動として〝オートバイ常時点灯キャンペーン”が始まり、昼間もヘッドライトを点けて走るオートバイが多くなっていた。
横芝も負けてはいない。
「おっしゃる通り、新しい考え方からヒット商品が生まれます。常時点灯はとても興味深いテーマです。しかしこれを成功させるには、大がかりな予算を投下して、啓蒙のための宣伝と長い時間が必要です。昨年のアルミグラの大失敗を、また繰り返すわけにはいきません。もう失敗は許されません!」
続けて、アルミグラの敗因を説明する。
「客観的な事実の裏づけのない机上の希望的観測により、皆がヒットするはずと思い込んだことです。今年もこのランプに多大な費用をかけるなら、もっとマーケティングの根拠が必要です」
暗に、常時点灯が成功するとは社長の思い込みだと批判した。
委員の一人である販売部長は玉虫色の意見を述べた。
「確かに、夜間無灯火で走る自転車は多いですね。でも、昼間にライトをつけていて、通りすがりのおばさんに注意されている中学生を見かけることもありますよ……」
技術優先の考えが強い西田社長でも、マーケティングの反論に強権発動はできない。会議は堂々巡りになり、結論が出ないままに時間が過ぎていった。
(2)
当時の自転車ランプには、「電池式」と、回転する車輪と接触して発電する「リムダイナモ式」があった。電池は消耗するため、長時間使用の通学車などには、ダイナモを倒してタイヤを擦る後者の方式が一般的だった。が、ダイナモを倒す手間や汚れと、接触による走行抵抗が増すことが欠点であった。

こんどの新発電ランプは「ハブダイナモ式」という。車軸のハブにダイナモを内蔵、車輪の回転により発電する画期的な仕組みで、走行中は昼夜を問わず常時発電される構造である。

横芝は考える。
ハブダイナモはリムダイナモに比べ自重があるが、走りが滑らかで音も出ず軽快である。が、それだけでは弱い。もし、常時点灯がセールスポイントにならないなら、何を訴求する?
そうだ!昼間は電流を遮断しておいて、暗くなったら光センサーが感知して電流を通し、自動的にランプが点くようにすればよい!いわば逆転の発想だ!
「社長、センサーを使ったらどうでしょうか?」
「うむ、自分も最初はそれを考えた。試作品もつくってみた。が、ハブダイナモはもともとコストが高い上に、センサーを加えるとさらにコストが上がる。加えて、複雑な構造になり故障が発生しやすくなる。来年のテーマ車にはとても間に合わない。だから中止にしたんだ」
「それなら商品化を遅らせて、センサー付きと付かない2種類でテストマーケティングをして、結論を出したらどうでしょうか?」
(3)
翌91年、実証テストが実施された。
テスト販売用完成車は100台。都市と地方の自転車店5店ずつを選び、10店に10台ずつ配置して定価で販売する。点灯センサーを付ける場合は、小売価格1.000円アップして、お客の選択に任せることにした。

結論はすぐ出た。
これまでにない自動点灯のアイデアが評価され、購入客の95%が高くてもセンサー付きを選択した。しかも異例のスピードで売れたのである。
加えて発売までに時間ができたため、検証不足で技術トラブルを起こしたアルミグラの反省から、技術や生産の全面見直しをおこない、自転車としては稀な高精度部品であるハブダイナモの量産体制が確立された。
横芝は大ヒットを確信した。あとは商品力・宣伝力・販売力三位一体となったお手の物の“勝利の方程式”に則り、勝つための戦略を実行するだけだ……。
(4)
先ずはネーミングである 。
プレ宣伝をかねてハブダイナモの名称を公募するキャンペーンを実施。1万人の応募のなかから「天道虫」をもじったユニークな「点灯虫」を採用した。
次はテーマ車の企画である。
一気にいろいろな車種に搭載して大々的に展開する戦略もある。が、今回は確実に成功するために軽快車1車種に絞り込み、「サテライト」と命名した。

宣伝にあたってはイメージ戦略を重視した。
かつてカマキリで大ヒットした動物イラストレーター・ポー沼田に再び依頼。ユニークな天道虫のイラストをシンボルマークに制定した。

さらに宣伝イメージキャラクターに、女優の観月ありさを起用。キャッチフレーズ“暗くなったら、勝手にライト”とともに、“電池不要の全自動ライトシステム”と名付け、テレビ宣伝中心に点灯虫とサテライトの全国キャンペーンを計画した。

(5)
1992年春、満を持してサテライトが発売された 。
自動点灯ランプが認められて、ベルトドライブに続く大ヒットとなり、サテライトは市場を席巻した。観月ありさのCMも好評で「全日本CMフェスティバル優秀賞」を受賞、点灯虫の名は知れ渡った。
翌年から、他の軽快車のリムダイナモを点灯虫に切り替える多機種展開を図り、点灯虫はブリヂストンの差別化部品として最大のセールスポイントになっていく。
他社も類似品で追随、「オートライト」と呼ばれ、広く一般化していった……。
それから30年。
現役を引退した横芝は、西田社長と言い争ったあの時のことを思い出す。
もし、社長が常時点灯を断行していたら?
振り返れば、オートバイでは1998年にヘッドライト常時点灯が道交法で法制化された。自転車では、滋賀県で昼間点灯を推奨していると聞くが、全国的にはまだ表立った義務化の動きはない。
しかし、自転車が都市交通の新手段として見直されるにつれ、安全無視のスピード走行が社会問題になっている。技術的にも、昼間でも明るく光るLED電球が発明され、昼間点灯が効果的になっている。
いまなら常時点灯を交通安全に役立つと宣伝すれば、成功する可能性は大いにある。社長の主張は時代に早過ぎたのだ。
もともとあの構想は雄大なものだった。ハブダイナモを電源とする新発電システムを開発して、自転車のいろいろな電装化を考えていたようだ。
そういえば、最近ハブダイナモから携帯電話の充電ができる新製品が開発されたそうだ。この話を聞けば、今は亡き泉下の社長は喜ぶことだろうな……。