“勝利の方程式”という言葉がある。プロ野球でいえば、リードして逃げ込むときの勝つ確率の高い投手継投策を指す。自転車づくりも同じこと。成功と失敗を繰り返すうちに、マーケティング戦略が方法論化され、勝つためのノウハウが生まれ、一つの勝ちパターンができる。が、失敗もある。“黄金の80年代”最大の失敗物語……。
(1)
ブリヂストンサイクルの企画部長横芝正志は焦っていた。1988年正月明けのことである。思わず独り言をつぶやく。
「来年のテーマ車の企画がまだまとまらない。新開発の技術もはっきりしない。困ったなあ……」
もともと自転車メーカーは、独自の開発力に乏しく、他社との差別化商品づくりが難しい。しかもいろいろな用途に使われ自転車の種類は多いが、その割にメーカーの企業力が小さく、車種別のマーケティングを展開する力がない。宣伝はカタログ程度であり、販売は自転車店任せだった。
これを打破するには、特定の差別化商品を大量生産大量販売、他の車種は需要創造のために少量生産する。この組み合わせで売り上げを拡大することであった。
「もう3カ月も遅れている。このままでは勝利の方程式が崩れる……」
横芝の言う勝利の方程式とは?
自転車の最大需要期 “春需”に焦点を当て、毎年新しいテーマ車を発売する。そこに人・物・金を集中してマーケティングを展開する。
このため、1年前からテーマ車の開発にとりかかり、年末までに生産して全国の販売店頭に配置、年が明けて宣伝を開始。うまくヒットすると、テーマ車をリード役に年間を通して全車種を売り抜く。これが1年間のパターンになっていた。
だが、年1度の勝負だけにリスクは大きい。
ヒットが続くと、いつの間にか会社全体にそれを当然とする気分が生まれてくる。販社、販売店も本来あるべき販売力を忘れて商品力に頼り、販売不振の場合は「売れないのは商品が悪い」と言う。
こうなると、毎年ヒット車を要求される。が、ヒット車が連続した結果、アイデアは枯渇し、新技術もネタが尽き、生み出すために四苦八苦する。
それでも失敗は許されない。大量の見込生産と販売店への事前配置、大掛かりな先行宣伝、投資は大きい。
加えて、親亀がこければ子亀もこける。リード車の失敗は、挽回できない年間の敗北を意味していた……。
(2)
横芝の自問自答は続く 。
「今年のテーマ車“カルカマ”は評判がとてもよい。大ヒット間違いないな。所ジョージのCMも評判がよい。“軽い自転車”のイメージがよく出ている。やはり軽さの路線を続けるか?」

カルカマとは、かつての大ヒット車カマキリに、軽さの技術を加えて進化させたシティサイクルのこと。“軽い~カマキリ”の意味のネーミングである。
軽いと言っても、単に重量だけではない。
1.持って軽い=アルミとスチールを接着したハイブリットフレーム
2.乗って軽い=フロント式ベルトドライブ
3.ブレーキも軽い=セラミックコーテッドリム
この3大技術を “軽さの時代”というキャッチフレーズで表現して、カルカマは春需を待たずに大ブレークしていた。

「とにかく、カルカマの3大技術を新しくしよう。まだ開発中と、西村次郎技術部長は言っていたが、なんとか間に合うはずだ……」
横芝の希望する新3大技術とは 。
1.フレームをオールアルミ製にして一段と軽量化。
2.ベルトドライブを、フロント式から後ろハブに組み込んだリヤ式に替え、小型化軽量化。
3. セラミックリムをやめ、利きが軽い滑車を使うプーリーブレーキを開発。
「とくにフレーム形状に重点を置いて、直線のカルカマと違う曲線タイプにする。キャチフレーズを “新・軽さの時代”に替え、宣伝も所ジョージを継続する……」
(3)
徳永徳次郎社長が横芝の席にやってきた。
「来年のテーマ車が遅れていると聞いたが、どうなの?」
もう2月も終わりごろ、とっくに企画が完了している時期。やきもきするのも無理はない。
「カルカマに2年続投させる意見があったので、販売会社に打診したら、当然のように今年も新車が要る、なければ負けよ、と言うのですよ」
「そうだろうな。やはり新しいテーマ車が必要だね。頑張ってくれたまえ」
「でも、今年は難航しました。ようやく企画をまとめたところです」
「ネーミングはどうするの?」
「“アルミグラ”とします。アルムフレームの“アルミ”と、ハイテク感のある“インテグラ”という単語と組み合わせました」
さらに横芝は言った。
「廉価車競争は激化しています。このアルミグラによって、高級車市場をさらに拡大するつもりです……」
こんな説明に、徳永は納得顔で帰っていった。これでまた一つヒット車が誕生する、と楽観したことだろう。
だが横芝は、漠然とした不安感が胸中に湧いてくるのを押さえられなかった……。
(4)
アルミグラの開発は遅れに遅れていた 。
「いつになったら、サンプルができるんですか?」
横芝は西村次郎技術部長に詰め寄る。
「このままでは、暮れの新車発表会に間に合わない!全国100会場で販売店1万店を集めても、目玉車がなくては発表会が開けませんよ!」
西村はしぶしぶ重い口を開いた。
「強度を保ちながら、アルミパイプを曲げる技術が難しくてね。直線フレームなら簡単だがね。年内はとても無理、ギリギリ来年2月に生産開始できれば、というのが実情です」
「えっ!2月?」
横芝は絶句するばかりであった……。
その後も納期の短縮を図ったが、アルミフレームだけでなく3大技術すべての開発が遅れ、アルミグラが新車発表会に間に合わないことがはっきりした。
このままでは春需は惨敗する、打開策がないか?
そのころ、日産自動車がセフィーロという新車を発売。商品を隠して期待感を盛り上げる「ティーザ(じらす)広告」で、テレビスポットをどんどん打っていた。
そうだ、アルミグラもこれでいこう、と横芝は思いつき、部下を集めた。
「新車発表会は予定通りにやろう!」
「実物が間に合わなくては無理でしょう?」
「アルミグラはティーザ広告をする、と対外発表して、会場ではフレームのカットサンプルを用意、イラストで説明をする」
「でも、事前配置はできませんね?」
「販売店にアルミグラの写真を配って、発売前からお客さんの予約注文をとる。生産開始したら、工場から直送して時間を短縮する」
遅れを隠す苦肉の策とはいえ、乱暴なやり方であった。が、他に方策はない。とにもかくにも実行した……。
(5)
年が明け、89年2月ようやくアルミグラが出荷された。
美しい曲線のアルミフレームを始めとする新3大技術は、軽さを実現していると前評判が高く、ヒットが期待されていた。

ところが 、
2月のある日曜日、横芝が近くのスーパーに買物に行くと、店内に置かれた大型テレビに、タイミングよくアルミグラのCMが流れてきた。
画面いっぱいに、宇宙船をイメージしたアルミグラに乗った所ジョージが現れ、大きな声で連呼している。
(所ジョージ)アルミで軽いアルミグラ!丸みでおしゃれアルミグラ!アルミで軽いアルミグラ!丸みでおしゃれアルミグラ!アルミグラったらアルミグラ!
(女性)アルミとベルトが自転車をかるーくしました……。
(所ジョージ)アルミグラ~あっはっはー!

おやっ、と思い目を向けると、2人の主婦の会話が聞こえてきた。
「あのコマーシャル、大ッ嫌い!」
「そういえば、商品名もモグラみたいで変だわね」
「所ジョージも嫌いだわ!」
「変てこな宇宙船に乗って、何のことだかわけがわかんない」
横芝は覚悟した。主婦に嫌われるようでは、今年は負けだ!と……。
その直後、小さな、しかし通学需要にとっては致命的な問題が発生した。
ダイナモ式発電ランプをフレームに取り付けるためのダボが、アルミが熱に弱くて直付けできない。前フォークを挟み込む金具を用意していたが、それがずり落ちるという。急ぐ余り耐久試験が足りなかったようだ。
設計変更して解決したころには、通学需要はもはや勝負がついていた……。
(6)
こうして春需戦線は惨敗した。商品力・販売力・宣伝力を三位一体とする、勝利の方程式は崩れた。販売第一線の士気は上がらず、年間を通じてシェアは低迷した。
アルミグラはわずか1年で打ち切られ、市場には汚名だけが残った。打撃は大きかったが、生産の遅れにより不活動在庫が少なかったことが、わずかな救いであった。
横芝は反省する。
いままでは市場調査に基づいて試作車をつくり、ユーザーや販売店の評価や情報を基に作戦を立ててきた。それに比べ、こんどは成功体験が災いし、理屈で考え、頭でひねり出した机上の作戦だった。しかもタイミングや段取りも悪かった……。
自転車のデザインひとつとっても、カマキリのヒット以来男性的な直線フレームが増えていたはず。アルミグラは無理やり差別化を狙って女性的な曲線フレームにした。ヒットするには、やはり時流に乗っていなければならない……。
座右の書にしている、第二次大戦の研究書「失敗の本質」を読み返す。戦争に例えれば、索敵を行わず戦場に飛び出したようなもの。しかも勝機が過ぎてから戦闘を開始する間抜けな戦いだった……。
当初方針にもこだわり過ぎた。まるで日本軍のようだった。失敗に気がつけば、途中で転進すべきだった。3大技術にこだわるあまり、戦力を分散させ、逐次投入になってしまった……。
「カルカマがオールアルミになりました」と一つに絞って、アルミグラをやめ“ニューカルカマ”とネーミングすれば、違った結果になったかも知れないなあ……。
心残りは尽きなかった。が、横芝は心の中でつぶやいた 。
今年はしくじった。よーし、来年は大ヒット車をつくるぞ、と……。