ヒット車の系譜(2)勝利の方程式ベルレックス(前編)

 カマキリの大ヒットで幕を開けた“黄金の80年代”。だが、安い模倣車が続出、メーカーの経営は再び悪化する。打開策はないのか?時代の流れを変えた独創技術ベルトドライブによる差別化戦略。“勝利の方程式”成立するか?

(1)

 舞台は1984年、秋深まるドイツの古都ケルン  

 恒例の国際自転車展示会(IFMA)に出張してきた、ブリヂストンサイクル社長徳永徳次郎と企画部長横芝正志は、ケルン中央駅近くのエクセルシオール・エルンストのレストランで、遅い夕食を楽しんでいた。

 ドイツワインの銘醸ラインガウの琥珀色の輝きと、リースリング種のまろやかな味わいを堪能している横芝に、徳永社長が話しかけた。

 「今年の決算は、去年に続いて厳しい数字になりそうだ。せっかく、カマキリの大ヒットで持ち直していたのだが……」

   80年代に入り、激減していた日本の自転車国内需要は回復していた。

 だが、“メーカー車”と呼ばれる高付加価値・高価格車を、そっくり真似て価格だけを安くした、いわゆる“問屋車”の安売りは勢いを増すばかり。メーカーの経営はむしろ悪化していた。

 一方流通でも、スーパーなどの量販店の乱売により、系列の自転車店は悲鳴を上げている。その救済策も必要だった。

 「この苦境を脱するには、画期的な新車が必要だ。横芝君!ヒット車を企画してくれないか!」

 わかりました、と簡単に請け負える話ではない。沈黙する横芝に、徳永はさらに畳みかける。

 「目標は1年、あまり時間はない。費用も、開発費はともかく宣伝費はかけられない……」

 そりゃ、無茶だ!時間も金もないなんて!でも、現状打破のために何かやらなくちゃ!と思いながら、ふと気がつくと、徳永は時差のせいか椅子にもたれて寝息をたてている。

 客が減っていくレストランの片隅で、横芝は一人考え込んでいた……。

(2)

 ケルン大聖堂で有名な100万都市ケルンは、芳香水「オードコロン」(“ケルンの水”の仏語)発祥の地としても知られる、ロマンティックな古都である。

(ライン河から大聖堂を望むケルンの風景)

 近代化された市内では、自動車に劣らず自転車を多く見かける。スポーツ用の多いフランスやイタリアと違って、実用に使われることでは日本に似ている。今ほどではないが、乗用環境も整いつつあった。

(自転車道も整備されつつあった)

 横芝はケルン滞在を延ばし、美しい街並を眺めながら“社長の宿題”を考え続けた。

   カマキリのように、デザインによる差別化なら、これまでも成功してきた手法だ。1年あれば、何とかヒット車をつくれるだろう。が、それでは今の低価格競争の流れは変えられない。すぐに安い模倣車が続出してグチャグチャになる。

 やはり、他社が真似のできない独創的な新技術を使った新車が必要だ。だが、1年やそこらでは、いくら技術部隊が頑張っても開発不可能だ。

 しかも、スポーツや通学車では、ヒットしても波及効果が限定的。成人男女が幅広く実用に使う、最も需要の多い軽快車でないと、全体の流れを変えるリード車にはならない……。

   こんなことを考えながら、ホーエ通りを曲がると、ライン川の流れが見えてきた。喉の渇きを覚え、苦みのきいたケルシュビールでも飲もうかと、体の向きを変えたとたん、自転車にぶつかった。

 大きくよろめいた若い青年は、お詫びを言いながら、倒れた自転車を引き起こした。はずみでチェーンが外れた。

 その時、閃いた  

 そうだ!ベルトドライブだ!と……。

(3)

 4~5年前のこと  

 ゴムベルトなどの工業製品を扱う、ブリヂストンタイヤの市場調査部長が横芝に会いにきた。かつて、あるプロジェクトをともにした旧知の仲である。

 「自転車のチェーンを替えたらどう?最近、機械や自動車では、力の伝導に樹脂ベルトを使っているよ……」

 “タイミングベルト”と呼ばれて、ケプラーのような樹脂を使ったベルトは、ゴムや金属製よりエネルギーロスが少なく、伝導効率がよい。自転車に使ったらどうか、との提案である。

(機械に使われる歯付きタイミングベルト)

   さっそく、技術部隊を動員して開発にとりかかった。

 が、単にチェーンをベルトに置き換えるだけなく、ギヤまわりの構造も大きく変えねばならない。強度は問題ないようだが、ベルトが滑る“歯とび”現象や、気温差により異音が発生する……。

 ようやくギヤまわりを二重構造にする、「フロントフローティングギヤ(FFG)」を開発、特許を申請した。

(フロント部のフローティングギア断面図)

 そのFFGをそれまであった軽快車に装着、チェーン駆動をベルト駆動に替えただけで発売した。

   しかし、残念なことに話題にもならず、ほとんど売れなかった。このころは、すでにお蔵入りしていた。

(4)

 ベルトドライブの長所は多い  

 注油が不要、油汚れがない。

 チェーンの外れ・たるみ・錆が発生せず、メンテナンスが簡単。

 踏み出しが軽く、静か。

 チェーンケースがなくても耐久性があり、衣服の裾の巻き込みもない。

 外装変速機がつけられないのは欠点だが、内装式で対応できる。

   何故、市場で評価されなかったのか? 

 横芝は敗因を分析した……。

 ベルトドライブが悪かったわけではない。もっと根本的な問題があったはずだ!

 もともと消費者には、日常よく使う自転車に対して、習慣からくる既成の感覚がある。自転車はチェーン駆動と思い込み、ベルト駆動のような、思いもよらない新機構は受け入れにくいのではないか?

 しかも、“固い金属製チェーンを、柔らかい樹脂製に替えた”と聞けば、強度や耐久性にも不安を感じるはず。

 コストも少量生産のため高い。コストがこなれているチェーンをベルトに替えただけの自転車では、割高感があって当たり前。

 こうした認識を変えるには、もっと長所を訴える大掛かりな啓蒙PRが必要。だが、ほとんど宣伝をしていない。売れていないから、ベルトの自転車を見かける機会もない。だから、誰もベルトなんて知らない。

 また、消費者との接点である自転車店の取り扱いが少なく、知識もなく、メンテナンス体制も不十分だった。

 突き詰めれば、ベルトドライブにヘッピリ腰だった。ロクな戦略がなく、費用を投じず、作戦そのものが小規模だった。技術部隊は開発しただけ、販売部隊は恐る恐る取り扱っただけ、組織がバラバラだったのだ……。

 これでは勝てるはずがない。こんどはどうする?

(5)

 横芝は新しい戦略を考え続けた……。

 ある日近所の書店に行くと、第二次大戦の研究書「失敗の本質~日本軍の組織論的研究」が発売されていた。経営論や戦略論の参考本として、今も読まれている名著である。

(名著「失敗の本質」1984年ダイヤモンド社刊)

 読み終えるとまた書店に行き、千早正隆「日本海軍の戦略発想~敗戦直後の痛恨の反省」などの戦記物を読み、日本軍の敗因を学び、“社長の宿題”への戦略を練った。

   手品はコソコソやっても成功しない。組織全体を機能させる大掛かりな演出が不可欠だ。戦力の逐次投入は避けるべき。こんどは人・物・金を集めて、一点集中突破作戦をやろう!

 ベルトドライブ専用の新車を開発して、それを大々的に宣伝、加えて販売網を総動員して拡販する。商品力・宣伝力・販売力が三位一体となった総合戦略を企画しよう。

 だが、実現するには、社運を賭けるほどの費用が必要だ。縮小均衡に陥っている社長は、そんなチャレンジはとても承認しないだろう。あらかじめ、予算はないと念押しされている……。

   そうだ!小さな仮想市場をつくって、テストマーケティングをやる。これなら、それほど費用がかからない。

 うまくヒットしたら、そのサクセスストーリーを基に、勝った!勝った!の勝ちムードをつくる。全国発売を前に、“大ヒット車登場”と演出する。これなら社長も、リスクテイクしてくれるはず。

もし失敗したら……、自分が責任をとればよい……。

   ようやく成案なった横芝は、覚悟を胸に社長室に向かった。

(後編に続く)

3週間前