ヒット車の系譜 (1)諸刃のカマキリ

“黄金の80年代”  日本の自転車が最も輝いた時代である。独創商品続出、新需要が創出され、世界に類のない自転車王国が出現した。だが、史上最大のヒット車カマキリには、低価格競争という悪魔が潜んでいた……。

(1)

「よし、そう決めよう!」

70年代も終わりに近いある日、「商品委員会」の席上で、ブリヂストンサイクル社長石井公一郎がきっぱりと言った。

ブリヂストンでは、新商品の開発から発売までの主要プロセスは、ボードメンバーと関連部長を委員とするこの会議に諮られ、決定されるルールである。

仲間内ではこの会議を「御前会議」と呼び、委員長を兼ねる社長の承認を得るプレゼンの場でもあった。事務局は企画部長の横芝が担当している。

  この日の最終議題は、新車のネーミング変更だった。だが、この案件はすでに決定済み、生産準備が進んでいる。議題として持ち出すにはあまりにも遅きに失していた。

「こんどの新車のネーミングを、当初の“ネーチャーボーイ”から“カマキリ”に代えたいと思います。その理由は……」

横芝の説明を途中でさえぎり、委員の一人である購買部長が発言した。怒りを含んだ声だった。

「横芝さん!前の会議で、ネーチャーボーイは“自然児”という意味で、こんどの新車にぴったりだ、と言いましたね。それを今更……」

問われた横芝は、うつむくしかない。

「とっくに部品は発注済み。なかでも車体に貼るマークは、明日にも納品される手はずになっている。これらが無駄になる!」

石井社長が聞く。

「何台分手配済みか?」

「初回1万台です」

 すかさず、経理部長が口を挟んだ。

「横芝部長の説明では、この新車は宣伝力で勝負するとのことだが、この不況で、わが社の採算は悪化している。追加の宣伝費なんてありませんよ」

  反対意見続出のなか、黙って聞いていた石井が結論を出した。

「皆さんの意見はよくわかった。しかしネーミングは非常に重要だ。名前によって売れ行きが変わることもある。変更を承認しよう。キャンセルできない部品は、代金を払って廃棄処分にして、至急新マークの手配をするように」

明快に指示を与えたあと、付け加えた。

「事務局は決定後の変更を極力避けるように……」

(2)

この商品委員会の前日  

横芝は、ひっそりと社長室のドアを叩いた。

「社長、折り入ってお願いがあります……」

「何だね?」

「明日の会議でネーミングを変更したいのです……。今更言うのも何ですが……」

「どういうわけか?」

「こんどの新車は、ゴテゴテした付属部品を外したシンプルでファッショナブルなデザインが売り物です……」

石井はうなずき、続きを求める。

「もしヒットしたら、模倣車がすぐ出てきます……」

「そのことは、前の会議で誰かが指摘した。シンプルだけに真似が簡単だ、すぐ競争になり、利益が出ないとね」

石井は、少し気色ばんだ。

「そのとき君は、“時代の先端をいく新商品で業界をリードすることがトップメーカーの役目だ。利益も模倣車が出るまでは稼げる”と押し切った。だから、真似を覚悟で発売しよう、と皆で決めたはずだ」

「実は、新しい作戦を思いつきました……」

 横芝は縷々説明する。

  大手はともかく、製造卸と呼ばれる中小メーカーの模倣車は、そっくりのデザインで、価格だけをブリヂストンと同一表示して、店頭で大幅値引きする。市場全体が激しい低価格競争になる恐れがある。

その対応策として、新車のブランド化を図る。宣伝でつくるブランドイメージを商品に落とし込み、商品と宣伝が一体化したブランド戦略をとる。ブランドで差別化すれば、模倣車が出てきても数年間は優位性を保てる。

それでも価格競争は続く。次の作戦として、デザインだけでなく機能や品質で差別化した新車を発売する。それまでに培ったブランド力を生かして、高付加価値高価格商品に変え、利益を確保していく……。

「そのために、どうしてもネーミングを代えたいのです」

「よくわかった。代案は?」

「社外ブレーンストーミングで、“蟷螂権左衛門”という面白いネーミングが飛び出しました。“カマキリゴンザエモン”と読むのですが、それをそのまま車名にします」

  石井は、のちに文藝春秋の歌舞伎コンテストに優勝、その脚本が歌舞伎座で上演されたほどの才人である。即座に、横芝の意図するところを理解した。

「うーん。確かに面白い。大きく上がったアップハンドルは、かまきりが前脚を上げた姿にそっくりだ……。かまきりは痩せて見えるから、余分な部品がないシンプルなこの自転車のイメージにつながる……。ネーミングもユニークで、記憶に残る……」

「漢字の“蟷螂”は難しいから、カタカナにして、“カマキリ権左衛門”とするつもりです」

「いや、権左衛門も面白いが時代感覚が古い。頭文字を英字のGにして、車体に “カマキリG”と入れよう。権左衛門は宣伝だけに使ったらどうか?」

「すでに準備が進んでいます。明日の会議では、多数の反対が出ると思いますが、よろしくお願いします」

  このような根回しから、日本自転車史上最大のミリオンセラーが誕生した。

(3)

カマキリは、どのような背景から生まれた自転車であったか?

1970年代半ば、オイルショックに端を発した不況により、自転車国内需要台数は750万台をピークに500万台に減少、加えて対米輸出が激減。日本の完成車メーカーは危機を迎えていた。

しかも不況のなかで、製造卸の廉価車が大きく伸長。ホームセンターなどの量販店で販売され、熾烈な低価格競争が始まっていた。

いわば、需要減と廉価化の二重苦である。

  同じころ、日本の社会に大きな変化が始まり、それまでの高度成長時代の価値観が変わりつつあった。

“モーレツからビューティフルへ”のフレーズに代表されるように、シンプル・スモール・スポーティ・セクシー・ゆとりというような概念が持てはやされていた。

自転車の世界でも、それまでの強度や品質を重視した部品を採用するだけでなく、車体全体の軽さやデザインの美しさを求めるモノづくりへと移っていた。

カマキリは、こうした新しい流れを捉えて、シンプルな部品を採用、不要な部品は外して、“シンプル・イズ・ベスト”をテーマにした、新しいライフスタイル提案型自転車であった。

言い換えれば、カマキリは機能でなくデザインやブランドで差別化して、新需要を創造する戦略だった。同時に、模倣の容易性から価格競争に陥る危険を、ブランドで防止する戦略であった。

(4)

「カマキリには、これまでにないマーキングをしたい。ふさわしいデザイナーを、誰か知りませんか?」 

と、横芝に言われた西松次郎技術部長は、デザイン部門も統括していた。

「そういえば、アメリカから帰国したばかりのポー沼田さん、本名は沼田望という面白い才能を持った人がいます。日本でただ一人の動物専門のイラストレーターです」

  まもなくでき上がったポー沼田の作品は、痩せたカマキリがシンプルな自転車にまたがるユニークなデザインだった。

(ポー沼田のカマキリ。当時のカタログより)
(ヘッドマークになったカマキリ)

(5)

もう一つ問題があった。宣伝予算が乏しいことである。

カマキリは都市型商品としてサラリーマンのシティユースを狙ったもの。が、ブリストンが得意とするテレビ宣伝の予算はない。

横芝は予算をかき集め、カマキリのユニークなイメージを、印刷媒体で訴求する方針を定めた。

一般雑誌・駅張りポスター・電車の中吊り・新聞折り込み・販売店頭用POPなど、痩せたカマキリを視覚に訴えるイメージ作戦を展開した。

(6)

80年「カマキリG」は発売された  

スタッガード型直線フレームに大きなアップハンドル、荷台などのないシンプルなシルエット。まさにカマキリを彷彿させていた。

  仕様は、それまでの重厚頑丈な部品からシンプルで軽量な部品に代わっていた。今では見慣れているが当時は先端をいく部品であった。

チェーン全体を覆う全ケースを排除

頑丈なロッド式から軽いキャリパーブレーキ

太いBEから細身なWOタイヤ

重厚な革製から軽量の樹脂製サドル

倒れにくいが重い両足から1本足スタンド

差別感のあるラッパ型ベルは愛嬌だった。

  価格は値ごろ感のある29.800円。廉価傾向が強い市場をとらえた価格設定だった。

(元祖カマキリ「KAMAKIRI・G」定価29.8000円」

瞬く間に、カマキリは想定をはるかに超える大ベストセラーになった。

他社からそっくりさんが続々と発売された。名前まで“カマキリタイプ”と呼ばれ、“トンボ”とか“蝶々”の類似ネーミングも現れ、売り場はこのタイプで埋め尽くされた。

やがてカマキリは、軽快車の一ジャンルとなって、昔からのループ型の “ホーム車”と並んで、新しく“シティ車”と定義された。

  軽快車の歴史が“カマキリ以前”“以後”に分けて語られるほどの需要が生まれたが、低価格競争は激化の一途を辿っていた。

(7)

それから8年、安売りが続くなか、横芝はかねてからの計画通り第2弾を発動した  

“軽いカマキリ~カルカマ”をキャッチフレーズに、軽いアルミフレーム・乗って軽いベルトドライブ・走りが軽いセラミックリムなど独創的な機能部品がセールスポイントだった。

加えて、裾を汚さない半ケース・泥よけ・前かごの実用部品を装着した「カルカマ」を発売した。ただし野暮な後部荷台は外したままだった。

  シンプルが売物のカマキリの、逆をいく戦法だった。

カルカマは知名度の高いカマキリのブランドが力を発揮、人気タレント所ジョージのテレビCMと相まって、45.800円の高価格にも関わらず大ヒット車になった。

(88年軽快車「カルカマ」定価45.800円)
(所ジョージを起用したカルカマのテレビCM)

CM ブリジストン 自転車カルカマ 所ジョージ – Bing video

その後もカマキリは、黄金の80年代をリードし続けた……。

  だが、台湾・中国の超廉価車の大量流入とともに、1万円を切る価格競争の波に飲み込まれ、20世紀の終わりとともに、カマキリは歴史の中に消えていった……。

      (8)

10年ほど前、現役を引退した横芝は、たまたま台湾の広州環球自行車を訪れ、工場の片隅に“カマキリタイプ”と印字された完成車用段ボール箱を見かけた。

リチャードと呼ばれる総経理が横芝に言った。

「名門ミヤタの創業家が嘆いていましたよ。“カマキリによって需要が拡大し、カマキリによって廉価化した”とね。“横芝さんの功罪は大きい”とも……」

  そうか。カマキリは繁栄と没落の分岐点だったのか……。

それでも横芝は、半世紀を経てもなお、細々ながらカマキリは異国の地で生きていた、と感慨を覚えたことであった……。

4週間前