北海道ぶった切り、網走出発から2日間走り、帯広に宿泊したアツシとカンタさん。ここまで約200km走破した。内陸部は観光名所などなかろうと思い込んでいたが、極寒で有名な“陸別”、歌手松山千春の生家のある“足寄”、晩飯を堪能した“帯広”と、北海道の奥深さを感じた2日目だった。


3日目は富良野を目指す
朝6:00ホテルを出発。

「カンタさん、昨日の写真にタリンが“いいねボタン”を押してましたよ」
「元気そうだな!タリンの近況聞こうと嫁さんにTELしたら“今、山登りに来てる”だってよ(笑)」
先輩タリンの末期がんについては、仲間は気にかけつつも、それぞれがお盆休みを堪能していた。嫁さんもそのようだ。タリン自身も、見舞われるよりもそれが望みらしい。痛みと闘いながら、皆の活動をfacebookで見るのが励みになっているようだ。
富良野まで約130kmを走るこの日は、最大の難所“狩勝峠”を登る。


出発して、しばらくは体調を確認しながらゆっくりと走る。曇り空で涼しい。本格的に登りが始まる手前、50km地点のコンビニで小休止。ここまでかなり順調だ。

“カテゴリー2級”の狩勝峠
距離約9km標高差400mの狩勝峠は、毎年9月に行われるツールド北海道で良く使われている。
一般にステージレースでは、峠を通過する順位で山岳ポイントが付き、その合計点数で“山岳賞”を競う。点数は峠の難易度で変化し、一番厳しい登りは“超級(HC)”次に1級、2級、3級とランク分けされる。
この狩勝峠は、19年のレースで中級山岳とされるカテゴリー2級にランクされている。アツシは2級のキツさを実際に体験できるとワクワクしていた。
「登り始まったらアツシはタイムアタックします。カンタさんは自分のペースで登ってください」
「もちろん!ゆっくり登るよ。久しぶりの本格的な峠で覚悟してるしな」
狩勝峠の4~5%勾配の中、19~20km/hをキープしながら淡々とペダルを踏む。勾配の変化がなくペース配分は楽だ。
大型トラックが頻繁に横を通り過ぎるが、道幅が広く怖さは感じない。北海道では車が主要な物流手段のためか、峠を走る国道はトラックが無理せず登れるように、距離が長くても勾配は緩く一定につくられているように感じる。
頂上に近づくにつれ霧が濃くなる中、トンネルを越えゴールした。所用タイムは38分。ツールド北海道の選手たちは、25~30km/h、25分前後で登ってくる。とても敵わない……。

台湾人と国際交流
頂上には展望台や屋根のある休憩所があり快適だ。しかし周りはガスでよく見えない。トラックが頻繁に行き来する中、カンタさんの姿はまだ見えない。
休憩所で待っていると、反対側の富良野から登る道を1台の自転車がやってきた。
「こんにちは!景色が見えなくて残念ですね」
声をかけてきたのは、台湾の台北市から来たという“Willis More”さん。MTBにサイクルトレーラーを装着、テント泊しながら3週間かけて全道を走っているそうだ。

Willis さんは、自分と同じオークリーのサングラスを使うアツシを見て、つい声を掛けたとのこと。オークリーはカラーとレンズの種類が豊富、全く同一のものに出くわすことは滅多にない。

何となく親近感を覚え、片言の英語を交えながらお互いの旅の話をしていると、アツシのスマホが鳴った。
「ダミアンが優勝したよ!」
BSアンカーチームはカリブ海にある仏領グゥアドループ島で行われている8日間のステージレースに参加していた。最終日のこの日、ダミアン選手が総合優勝したことを伝える、友人の水谷監督からの歓喜のメールだった。

フランス人の“ダミアン・モニエ”選手は長年フランストップチームに所属しジロ・デ・イタリアでステージ優勝したこともある一流選手だ。
大怪我に合い復帰したが、体調が戻らず悩んでいたところ、若くから親しかった水谷監督に誘われてアンカーチームで走っていた。見事なカムバックである。現在も日本のチームに所属し活躍している。
一緒にいたWillis さんも、アツシと同じウェアを着ているダミアン選手をスマホで見て喜んでくれた。
20分ほど経過したところで、カンタさんがようやく頂上に到着した。かなりのお疲れモードである(笑)

狩勝峠の勾配は、ペダルをクルクル回せて楽だと感じたが、カンタさんにとっては最後までペダルを踏み続けないと止まるらしく、休みどころがなかったようだ。
しばらくするとガスが晴れ、太陽が覗いてきた。頂上には自動販売機もありボトルへの補給も完了、Willisさんに別れを告げ出発した。
これぞ北海道!
頂上からの下りが終わるころ、反対車線を大学生らしいツーリング車10数名が狩勝峠へ向け走ってきた。お互い手を挙げて挨拶する。北海道3日目にして、ようやくサイクリストとすれ違うようになった。網走からの内陸の道はあまり人気が無いのかなぁ……?
これから富良野に向かうには、もうひとつの峠である樹海峠が待ち構えている。
ちょうど昼時となり、手前にある道の駅で昼食を摂る。

疲労具合が心配されたカンタさんだったが食欲は十分、元気が回復したようだ。
出発すると、すぐに登りが始まる。樹海峠は狩勝峠ほどの標高はない。アツシが先に登り頂上で待っていると、すぐにカンタさんが登って来た。

“カンタさん、意外と元気で軽々登ってきたなぁ”と思っていたが、ツールド北海道では、樹海峠は山岳賞のポイント設定がない難易度の低い峠であったことを後に知る(笑)。
その後国道38号線を外れ、北へ進路を変えると、見渡す限り畑が広がる丘陵地帯に入った。
富良野だ!
ぽかぽか陽気も手伝って、物凄く気持ちが良い……。
「アツシ!これぞ北海道って景色だな、写真撮ろうぜ!」

丘を登りきると十勝岳の麓に集落が開けている、今日の目的地の一つだ。
北の国から
富良野と言えば、かつての人気TVドラマ“北の国から”の舞台であり、オッサンたちのこんどの旅の一番の楽しみは、撮影に使ったロケ地巡りだった。
このドラマは、ある家族が東京から父親の故郷である富良野に引っ越し、大自然の中で子供たちを育てるドラマだ。ロケで実際につかった建屋が残されており観光名所となっている。

(昔からTVで見てたモノが目の前に現れる)
2時間ほどかけて見学終了と、思ったところでカンタさんが言う。
「まだ見たいところがあるんだ、街中の“中畑木材店”に行こうぜ!」
ドラマはフィクションであるものの、富良野に実在するそば屋、材木店等が、そのまま実名で登場することでも有名だった。

富良野市内でも、“北の国から”が続く
すべてを見終え、富良野駅前に確保していた民宿にチェックインした。
案内された部屋の横にはスキー客の為の乾燥室があり、自転車はそこへ入れてほしいとのこと。アツシは、全ての宿で事前に自転車の持ち込み承諾を得ており、北海道がサイクリストに優しい土地であることを実感した。
一息いれたところで、北海道ぶった切りの裏の心の支え役、札幌のキヨエちゃんにノントラブルを報告する。

キヨエさんの励ましメールを心強く思いながら、晩飯ついでに軽く市内を散策する。
「ここの“くまげら”って店はドラマの名シーンで使われた宴会場。向こうの“へそ歓楽街”も良く使ってた場所だよ」
意外と詳しいカンタさん、アツシもドラマを見直してから訪れたら良かったと反省。
近くの居酒屋で晩飯、シメのおにぎりが物凄くおいしい。いつも朝はコンビニおにぎりだった。明日の朝メシのために特別に2個づつお持ち帰りさせてもらう……。

残すはあと1日、いよいよ石狩に至る最終日だ。どうなるオッサンたち?