沖縄を走る
/史上最短の作戦

2015年4月、2泊3日の沖縄ぶった切りの旅に出たアツシとカンタさん。大先輩のタリンを加え3人で沖縄に上陸、初日は名護に宿泊した。

タリンは、オッサンたちボーイスカウト時代の指導者であり、仲間であり、ロードバイクのとりこにさせた張本人。そのおかげでアツシは自転車メーカー勤務になったと思っている。

そのころ高校の美術教師だったタリンの元には、教え子やボーイスカウト仲間が男女を問わず集まっていた。皆で自転車、キャンプ、登山、サーフィンと様々な遊びを共有しながら35年を経て、今では全員が立派なオッサン、オバサンに成長した。

スタートは名護魚港

2日目朝7時起床、ホテルにて朝食。

いつもなら夜明けとともに走り始めるオッサンたちだが、今回は余裕がある。

なぜなら、ぶった切りの距離はたったの13kmなのだ!

(沖縄ぶった切り、名護から辺野古まで)

タリンもカンタさんも、それなら坂を登ってやろうぜ!と意気込む。さすが冒険心は子供のころと変わらないオッサンたちである。

ゴール付近には、辺野古基地と呼ばれる米軍の「キャンプシュワブ」が広がっている。ぐるっと迂回した浜辺を目指すことにする。

9時に出発、ウォーミングアップを兼ねてゆっくり走る。レンタバイクの調子もよさそうだ。

(ぶった切り隊の二人で、スタートコマネチ)

国道72号線を南下、左折して辺野古方面へ向かうと、すぐに登り坂が見えてきた。島国日本はどこでも中央部が山岳、沖縄も同様である。走る距離は短いが、勾配5%程度のキツイ登りが待ち受けている。

(距離は短くともコースは本格派)

アツシが先頭でペースを作る。すぐ後ろにタリン、後方からカンタさんが見守る。タリンはもともとオッサンたちにロードバイクを教えた張本人、走りは軽快、調子もよさそうだ。今回ばかりは、カンタさんも病み上がりのタリンをサポート、会話しながら登っている。

「タリン、カーボンバイクいいだろ?」

「今のロードバイク凄いな。軽くて踏んだだけ走るし、ギヤも選び放題。みんなこんなのに乗ってるんだな」

タリンは今のロードバイクに興奮していた。皆で一緒に楽しんでいたころのフレーム素材はクロモリが主流、変速はWレバーで6段変速、完成車の重量は10kgを切るぞ、と様々な工夫をした時代だからだ。

そんなことを話しながら、無事に頂上に到着。あとは下りだ。

(頂上にて一休み、まだ余裕のあるタリン)

作戦時間は90

下りの途中から英語表記の看板が目立つようになり、走っている国道の両脇に「キャンプシュワブ」が広がっている。

当時は基地移設反対運動が激しく、大勢の移設反対派と機動隊が国道を挟み対峙していた。

張り詰めた空気のなか、3人のロードバイクが粛々と基地ゲート前を通過する。

「おっ、サイクリングか!頑張れ!」

移設反対派から微妙な応援をうける、苦笑いしながら手を振って応える。なかなかの緊張感、これも社会勉強だな。

境界線をなぞりながら基地を迂回、海に面した綺麗な砂浜でゴールイン!所要時間90分の作戦だった。

(海にタッチ後、ゴールコマネチ!)

「カンタさん、沖縄の海はきれいっすね!」

東京湾で太平洋の水を汲み直江津港の日本海へ運んだ、あの冒険から早や2年。時の経つのは早いものだ……

(ゴールした浜、フェンスの向こうは米国の敷地)

憧れの羽地ダムを走る

帰りのルートはアツシが提案した。

「羽地ダムへ向かうきつい登り坂は、ツールド沖縄の勝負所です。皆で走ってみませんか?」

(帰路はツールド沖縄と同じコースを走る)

タリンもカンタさんも、それなら坂を登ってやろうぜ!と意気込む。さすが冒険心は子供のころと変わらないオッサンたちである。

(レースではここを右に曲がると、緊張感が一気に高まる)
(大浦マングローブ林に立ち寄る、ここも神秘的だ)

大浦湾につながるマングローブ群を過ぎると登り坂の陸橋が見えてくる。2人には少々きついかもしれないが、アツシにとっては、毎年この勝負所を選手の後方から自動車で伴走している憧れの坂だ。

たまにペースを上げたりと勾配感をじっくり堪能する。ツールド沖縄では、200km近く走ってからこのきつい登りで勝負しているのか、と思うと選手のすごさが身に染みる。

それからは、3人とも思い思いのペースで走り、無事にホテルに帰着した。

「タリンどうだった?」カンタさんが聞く。

「楽しかったよ。登りはきつかったけど……、それぐらいでないと自転車は面白くないもんな」

さすがタリンだ。自転車の楽しみ方を良く知っている。

(沖縄らしさ満点のランチ)

午後は名護の北側、本部半島を自動車で観光。途中ランチを取り、美ら海水族館、今帰仁城跡、古宇利大橋から古宇利島へと、沖縄らしい風景を堪能する。

ハブとマングースの対決ショーがあるという道の駅に立ち寄るも、今は資料映像のみということで早々に退散する。まぁ当たり前かと、皆で笑う。

オッサンたち愛用、米軍払い下げグッズ

自動車を運転しながら、アツシが言う

「カンタさん、これから米軍払い下げ店に行きます。すごい楽しみっす」

「昨日、読谷村でタリンの教え子に教えてもらった店だな、オレも楽しみ」

ボーイスカウトでキャンプに親しんできたオッサンたちの愛用グッズには、米軍払い下げの中古品が多い。

  思わず3人は昔話で盛り上がる。

『迷彩服の作業着』、『ジャングルブーツ』、『ポンチョ(雨具)』、雪中キャンプに使う『羽毛満載の極寒地仕様シュラフ(寝袋)』……。

『メスキット(フライパン形状の食器)』には製造年号が刻まれていて、ボーイスカウトの少年たちは、第2次大戦ものだとか、オレのはベトナム戦争だぜ、などど自慢したものだ。

ついには『アリスパック(戦闘用ザック)』まで入手したツワモノも現れたな。

キャンプに行くのは電車だった。そんなグッズを抱えているから、周りから冷たい目線で見られていたね……。

「戦場は死と直結、軍用品は良く考えられてるし、中古でも十分使えるからマニア好みだよ」

カンタさんの言葉に納得しながらアツシが言う。

「でも、ナイフを自分で作っていたタリンが、一番のマニアだったでしょ」

「懐かしいなぁ、ところでアツシはこれから行く店で欲しものあるのか?」とタリンが聞いてきた

「自転車の工具箱に使えるケースかなぁ」

「それならペリカンケースがいいな」カンタさんが瞬時に反応する。

ペリカンケースとは、アメリカのペリカンプロダクツ社が製作する防水ケースのこと。精密な機器を入れるのに便利な世界的人気商品である。

(様々なサイズがあり、密閉性が高い)

カンタさんのうんちくが爆発した

立ち寄った店は、沖縄駐屯の特殊海兵隊に納めるグッズ製作が生業で、海兵隊員の支給備品を体にフィットさせるカスタムを副業としていた。

現金取引が基本だが、なかには中古備品を持ってきて支払う隊員もいるそうで、他で見れない珍しいものがたくさん並んでいた。

アツシは、ひとつだけあったペリカンケースの前で購入を悩んでいた。工具箱として使うには若干大きいからだ。

「市販品は上部にペリカン社のロゴが付いてるけど軍用品はそれが無い。横に英数字のコード番号が貼ってあるだろ?その番号をパソコンに打ち込むとケースに入れる備品がリストアップされるシステムでね」

店長さんと談笑していたカンタさんが、寄ってきてアドバイスしてくれた。

「軍用品は、出所の素性がわからないように、標示類を消したり剥がしたりするんだよ」

そうか、カラースプレー等で消されているのをよく見るが、そういう理由だったのか。

「つまりコレは諸々消されてないから、極上品ってことだ、イイもの見つけたなアツシ!」

一緒に、弾丸を入れるアーモBOXも購入した。これはケミカル類のスプレー入れとして、今でも重宝している。

軍用品のケースを那覇空港で預けると、中身は大丈夫ですよね?と必ず聞かれる。注意が必要だ。

(左:アーモBOX、右:ペリカンケース)

  ホテルに帰ると、晩飯はアツシが知らない店へ行くことになった。入っては「イマイチ」と言いながら、とうとう3軒はしごをする。皆で「やっぱり昨日の店の海牛が一番だな」という結論に至った。

タリンも大満足

最終日は朝から那覇へ移動、公設市場で沖縄の胃袋を見学、米軍払い下げ店を回りつつ、早々に居酒屋に突入した。

(呑んでばかりの良い旅)

帰りの搭乗待ちをしていると、突如轟音とともに航空自衛隊の戦闘機が2機飛び立った。国籍不明機が日本の防空圏内に侵入したときのスクランブルだ。沖縄が国防の最前線であることを改めて感じる。

最後にスクランブルも見れたと、大満足のタリン。その笑顔に喜ぶアツシとカンタさん。沖縄は良い旅だったなあ……。

3年前

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