2014年夏、3日間かけて四国と九州のぶった切りを完遂したアツシとカンタさん。多くのトラブルも帰宅した今となっては良い思い出である。
日本ぶった切りもいよいよ北海道だ!と意気込んでいたものの、お互い仕事が忙しく旅の計画は進まない。どうするか?

沖縄も日本!
半年後の12月、いつもの都内某居酒屋にて。
「北海道を切るには最低4日間必要です。来年のお盆休みしかないですね」
「オレも忙しくてさ、長期の休み取れないよ、アツシは冬も忙しいの?」
「冬は屋内外のイベントが多いんですよ。野外は先月行われたツールド沖縄が最後でしたが……」
ツールド沖縄は、毎年11月に行われるUCI(世界自転車競技連合)公式レースである。同時に市民レース・サイクリングイベントも行われ、2日間で延べ3000人が参加する大きな大会、各自転車メーカーが協力して自動車で伴走、メカサポートする。
アツシは公式レースのサポートに必要なJCF(日本自転車競技連盟)の審判資格を持っていて、毎年会社から派遣されている。
「沖縄かぁ、仕事とはいえ楽しそうだよね……」
ふと、アツシはあることを思い出した。
「新城幸也選手って知ってますか?」
「もちろん!凄いよねツールドフランスを何回も走るって大したもんだよ」
新城選手は沖縄県石垣島出身。高校卒業後、ブリヂストンが若手育成のためにつくったU23チームに所属してフランスで走り始めた。
当時チームの仕事を手伝っていたアツシは、まだ20才前の新城から、世間で日本地図が示されるとき、沖縄が無いことが多くて悲しいです、すぐ忘れられるんですよ(笑)と、よく聞かされたものだ。
その後、全日本選手権を制し、その年着用した日本チャンピオンジャージには沖縄がしっかりと描かれていた。U23の時から強さと成長度は際立ち、その後のトップレースでの活躍を想定されていたが、大したものだ、とアツシはつくづく思う。

「沖縄もぶった切りに入れるべきです!」
「まったくその通り!じゃあ、次は沖縄だ!アツシ、計画立ててよ」
オッサンたちのルーツ「タリン」
“12月30日”毎年この日に東京の地元で定例の忘年会が開催されている。ボーイスカウト仲間を含む少年期からの知人が約30名が集まる。多数がFacebook友だちでもある。
「いつも、オッサンたちがゆくを見てるよ、ほんとにアホだよな。そんなお前たち……、大好き……」と、声をかけてきたのは『タリン』だった。
タリンは、オッサンたちのボーイスカウト時代のリーダーである。長男をボーイスカウトに入団させ、同時に自身もリーダーで活躍していた。高校の美術教師で、絵画の個展を開いたり、昔から趣味のものはなんでも自分で作ってしまう性分だった。
35年前には、まだ珍しかったロードバイクを車輪から組み上げるほどだった。少年たちは、タリンに組んでもらった車輪だ!と自慢げにロードバイクで街中を駆っていた。これがオッサンたちの自転車ルーツである。
タリンは通称で、最年長者なのに呼び捨て、家族も含め大昔から皆にそう呼ばれている。
「そうだ!こんどはオレたちでタリンに自転車を組んであげようぜ!この前改造したときパーツの一式がオレの手元に余ってるんだ。アツシはフレームを手配して組立てよ。今までお世話になったお礼だから、いいだろタリン?」
アツシも提案に大賛成した。
「ありがとう、お前らいい奴らだな。ところで、北海道いつやるんだ?faceookを見るの楽しみなんだよね」
このころタリンは大腸がんを患って、入退院を繰り返していた。旅の書き込みを見ながらベッドの上で過ごす日もあったようだ。
「北海道は日程取れないから、沖縄に行くことにしたよ」
「沖縄かぁ……。カンタ!オレも行きたい!」とタリンが言った。
幸いタリンは小康を得ていた。飛行機の旅なら大丈夫だろうと、話はトントン拍子で進み、3人での沖縄行きを決めた。
日程はタリンの体力を考え、暖かくなる4月中旬の3日間とした。活動拠点はツールド沖縄のスタート地点でもある名護市。沖縄はアツシにとって瞬時にすべてのスケジュールをつくれるほど熟知した土地である。

バイクは持って行かない
こんどの沖縄ぶった切りは距離が短い。自転車は輪行せず、現地で借りることにした。ツールド沖縄で世話になっている自転車店「沖縄輪業」でロードバイクをレンタルできる。サイズや種類も豊富で、気軽に本格サイクリングができると評判が良い。
それでもより快適に走るため、普段使っているペダルとシューズ、ボトル等は各自で現地へ持っていくことにする。

沖縄上陸!
朝、羽田空港を出発し11時に沖縄に無事着陸。その後の移動はレンタカーである。毎年ツールド沖縄のサポートカーのスポンサーとしてお世話になっている「フジレンタカー」を、お礼も兼ねて利用する。
まず沖縄輪業へ行き、予約しておいたバイクをピックアップ。出発前にサイズ等の要望を伝えていたので、簡単な手続きだけですぐに借りることができた。
3人ともアンカーを借りた。サイズだけでなくブランドも選択できる。


名護へ向かうには高速道路が便利だが今回は急ぐ旅ではない。途中、嘉手納基地で最新戦闘機を見学、海沿いを走り景色を楽しみながら読谷村に立ち寄る。
長年タリンが会いたかった昔の教え子が住んでいるとのことで、再会を楽しんでもらった。今回は昔からの感謝を込めた、タリンへの慰労の旅でもあるのだ。
夕方、名護のビジネスホテルにチェックイン。すぐに借りたバイクに持参したペダルへの交換と、ボトルゲージ等を装着。ポジションチェックと簡単なメカ点検を行い、明日の準備は完了した。

前夜祭を楽しむ
名護には10年ほど前から毎年来ている。色々なお店を訪ねたおかげで、今では夕食選びに迷うことはない。。
初日は前夜祭だ、地元料理が楽しめる居酒屋「海牛」に行く。地魚はもちろん珍しい沖縄料理が食べられ、価格もリーズナブル、アツシのお気に入り店の一つである。

アツシの旅の基本は、聞いたことが無い料理名をオーダーすること。初めて見る料理や材料も多いが、同じ魚で呼び方が違うというのもあり、なかなか楽しいものだ。
「タリン、メニューから選んでよ」
「アツシ、このヒートゥー、ってなんだ?」
「イルカのことですよ。たまにしか材料が入らないらしいです、今日あるか聞いてみますね」
ヒートゥーは、ヒージャー(山羊)、イラブ(ウミヘビ)と並ぶ名護の名物料理。かつて名護ではイルカ漁が盛んであったが、現在は行われていないため、材料が入手できない幻の料理になっている。アツシも1回しか食べたことがない。
珍しく、今日は入っているとのこと。今回はニンニク炒めを食す、独特の臭みもあり、アツシにはお世辞にも美味しいとは言えないが、これも旅の醍醐味であろう。
珍味に出会うラッキーは、タリンパワーだな……。
さらにタリンが聞いたことが無いというジーマーミ―(落花生)豆腐、スーチカー(豚の塩漬け)などの沖縄料理を堪能、ほろ酔い気分でホテルへ帰る。
いよいよ明日は沖縄ぶった切りだ。タリンには絶対に無理させられない!安全第一でいこう……。