3日目四国をぶった切り、夜遅く大分臼杵のビジネスホテルに泊まったアツシとカンタさん。今日は熊本まで150kmを走り抜き、九州を横断する。旅も4日目、疲労も色濃く、ケガだけは絶対に避けたい……。

パンツは履かない
ぶった切りも経験を重ねると、携行する荷物はできるだけ軽く、共通で使えるものは1人だけが持つ、ウェアは毎晩洗濯して予備は持たない……いろいろなノウハウができてくる。こんどの旅では、新しくコインランドリー常設が、ホテルの選定条件となった。
朝早く目覚めたアツシは、カンタさんに尋ねた。
「寝る時パンツはいてないですよね、コインランドリーから帰ってくると、お尻が丸見えでした。まさか軽量化狙って宅配で送った?」
「いや、パンツは持ってるよ、だけど寝る時は素肌に浴衣のみ。朝起きたらすぐにレーサーパンツをはくから、いらないものとなっている」
カンタさんは満面に笑みを浮かべている。
「???」
「着替えではなく、着るだけ。着替えは時間の無駄なんだよ」
カンタさん理論は、たまに理解不能なことが多いが、すごい説得力だ(笑)
厳しいアップダウン
朝6時に出発。帰りの飛行機に乗り遅れることは絶対に許されない。寄り道はせず、真っすぐ熊本へ向かう。

大分県には自転車レースの応援で一度来たことがある。内陸は平坦が少なくアップダウンしかない。本格的に登りが始まる60kmまで頑張りすぎないよう、カンタさんに伝える。
海岸線から内陸へ進むと、勾配は緩いが地図ではわからない短くキツイ登りがある。

「ずっとアップダウンで何かペースがつかめない、アツシはどうしてるの?」
アツシは細かくアップダウンを繰り返すMTBレースに長年参戦してきた。レースにおいてはアップダウンでのスピード処理が勝敗を大きく左右することも珍しくない。その経験からオンロードでも楽に速く走るためにスピードをできるだけ落とさないように常日頃から心掛けている。
「ですから、下りはできるだけブレーキを掛けず、その勢いのまま登りに入ります。カンタさん見てると、下りでちょっと遅れますよね。」
「何となくブレーキを握っちゃうんだよね、意味はないんだ」
「怖くなければ下りで少し加速すると、登り始めでペダル漕がなくてよい惰性時間が増えます。下りのほうが楽に加速できるしね。せっかくディープリムホイール履いてるんですから……」
まだ元気なカンタさんだが、まもなく登りでディープリムの重さが足を引っ張ることになる。
初めてのワセリン体験
走り続ける2人の前に、新たな強敵が現れた─。
自転車乗りに付き物、お尻が痛くなってくる。股ズレ防止の自転車専用クリームを忘れてきたのは失敗だった。
ドラッグストアに寄り、ワセリンを買ってくる。同じような効果があるから、サドルが当たるお尻の部分に直接塗り込む。
「ヒヤッとした感じ、やばい感覚だな。クセならなきゃいいけど、ガハハハ」
カンタさんは、初めてのワセリンだったようだ。
“チマ・コッピ”に挑む
毎年5月に行われるイタリア1周レース、ジロ・デ・イタリアは山岳コースがキツイので有名である。全21日間のなかで一番標高の高い頂上は、チマ・コッピと呼ばれている。イタリアの名選手ファウスト・コッピの名を冠したもので、頂上を1位通過した選手には、名誉としてチマ・コッピ賞という特別な賞が与えられる。
これから向かう阿蘇山に続く滝室坂は、四国九州全コースを通し最も標高が高い。アツシとカンタさんにとって、まさにチマ・コッピである。

国道57号線は真っすぐな道、勾配は4~5%とキツくないが、景色が変わらない。たんたんと60km走ると気持ちが切れかかる。
カンタさんはマイペースを守っていたが徐々にペースダウン、道の駅で小休止する。
「この登り、ずっと真っすぐでイヤになってきた」
「ペース崩さず我慢するしかないですね。それより、なぜディープリムの車輪を持ってきたんですか?今回登りがキツイから、それはダメだって言ったのに」
「俺のアンカー、白黒でデザイン合ってるだろ。カッコイイし、やる気の源泉なんだ」
確かにやる気は重要だが、それでも熊本まで走り切れなければ意味が無い。
─頂上まで残り2km、国道の両脇には広大なトウモロコシ畑が続く。収穫後だろうか、甘い香りが漂い不思議と元気が出てくる。
13時過ぎ、ついに2人はチマ・コッピを制した……。

壮大な阿蘇山を走る
頂上から標高差250mを一気に下る。左手に阿蘇山を見ながら10km程度は比較的平坦が続く。阿蘇山は大きなカルデラ火山なので、今走っている国道沿いは火口外輪の内側、簡単に言えば火口の中を走っているわけだ。

やがて阿蘇山の姿が後ろに遠ざかり、下りが始まる。
16時を過ぎるころ、熊本市内を通り抜けた。飛行機の時間が気になり、楽しみにしていた馬刺しを諦める。またの機会にしよう……。
港まで残り10km、フェリー埠頭へは直線ルート、正面から直射日光が降り注ぐ。しかも向かい風が強くなってきた。
カンタさんは体力の消耗が激しい。アツシの後ろに付くこともままならず、ペースも上がらない。ここまで頑張ってきたカンタさんを最後までサポートするのがアツシの使命だ。なんとかしなくちゃ……。
17時30分、最後の大きな橋を走り熊本港フェリーターミナルに到着した。

視野が狭いって、それは解決策じゃないだろ(笑)
「駅までラスト10km、頑張りましょう!」
「アツシ、もう駄目だ!走れないよ」
「そうは言っても、自転車で行くしか……」
「アツシは視野が狭いよな、向こうにタクシーが停まってるだろ」
解決策はそれじゃないだろ!と、ツッコミを入れたくなる。
でも、1台のタクシーに2人と自転車2台とザック2個が積めるかな?
緊急用に持っていた布製輪行バッグに自転車を入れ、1台は後部トランクへ、もう1台は後部座席でアツシが抱える。カンタさんはザックを2つ抱えて助手席に乗る。全部積めた。いざ出発!
空港まで一直線
カンタさんは、人の好さそうな初老の運転手と楽しそうに語っている。
「四国から大変やったろ、タクシーに自転車載せたん初めてばい」
「熊本駅からは空港バスに乗るつもりだったけど、このまま空港まで行けませんか?
アツシもそれでいいだろ?」
確かに、カンタさんは相当疲れている。タクシーなら飛行機の時間に確実に間に合う。費用はかかるがしかたないか、とアツシはうなずいた。
「四国九州の長旅には感動したけん、送っちゃるばい。長距離だけど、料金はこん金額でよかばい」
格安の固定料金を提示され、旅は人情だと改めて思う。
前々日に徳島空港から送っておいた不要な荷物を、熊本駅前の宅配営業所でピックアップ。そのままタクシーで空港へ向かい、搭乗1時間前に到着できた。
以前、大型の自転車は受付時間内でも飛行機に預かれないと拒否された経験があった。丁寧に扱いたいからとのこと。飛行中の機材故障を防ぐために、乗客も自転車はしっかり梱包する必要がある。
2人は、事前にチェックインカウンターに自転車があることを告げ、係員の見えるところで梱包し直した。作業が遅れれば、係員が声を掛けてくれるから安心だ。

搭乗口の前で、九州ぶった切りを祝い、生ビールを1杯のどに流し込む
「いやぁ、今日もやばかったですね」
「最後はタクシーのおっちゃんに救われたな、アツシにも何度も助けられたし」
「でも、熊本の馬刺しは残念……」
「そういうなよ、帰ったら反省会で一杯やろうぜ」

ついにぶった切りの旅は終わった。残すは北海道か……。
次の冒険を想像しながら、飛行機内で爆睡するオッサンたちであった。