コンピュータを駆使して開発した「POS」を陣頭に掲げ、高級スポーツ車市場に切り込む業界3位の松下電器。大ヒットとなり、無人の野を行く快進撃が続く……。首位ブリヂストン、さらに続く宮田・丸石・日米富士の対抗策は?完成車5強による20世紀最後のスポーツ車戦争が始まる……。
(1)
ズカズカと、ブリヂストンのロゴ入りジャンバー姿の男が、ブリヂストンサイクル企画部長横芝正志の部屋に入ってきた。
「横芝部長!“ナショ”のPOSは大変な人気です!」
勢い込むのは、東京販社企画担当役員の浜岡紀夫。まだ30歳半ばの若さだが、本社方針を遂行する販社の参謀長である。都内の主な自転車店を一回りしたばかり。
浜岡の言う“ナショ”とは松下電器(現在はパナソニックに改名)のこと。業界ではナショナルを略してそう呼んでいた。今なら“パナ”かな?ついでだが、ブリヂストンは “ブリ”と言っていた。日本人は言葉を縮めることが好きである。
「発売早々、1台10万円以上の予約が500台もあったそうです。今月もそれを上回る勢いで伸びています」
「……」
「契約自転車店も500店を超えたそうです。うちの系列店にも入り込んでいる。しかも、注文に使う松下製ファックス機を買わせてですよ!」
当時の自転車店は、パソコンはおろかファックスさえない店が多い。
「無理してるねえ……。そもそもPOSが狙う高級スポーツ車市場なんて、需要がいくらもありませんよ。すぐ息切れするよ。売れ残りをおそれて、受注生産にしただけじゃないの?」
横芝には、スポーツ車需要拡大方針を掲げて数々のヒット商品を飛ばし、業界をリードしてきた自負がある。
真似をしたくない気分も加わり、POSを軽視していた。のちに後悔するとは、そのときは思いもよらない。
(2)
松下電器(現パナソニック)の自転車事業の歴史は長い—。
戦前、松下幸之助が自転車用発電ランプで創業、戦後はナショナル自転車工業が完成車を製造、松下電器自転車事業部が販売する製販分離体制をとっていた。さらに業界2位の宮田工業と名門光自転車を系列に収め、“松下3社”と呼ばれて、ブリヂストンと業界を2分する勢力であった。
ナショナルは“電気屋の自転車”のイメージが強く、女性向け軽快車や通学車、子供車に強い。4~5年前には廉価軽快車ハーモニーを発売、業界を安物競争に巻き込む出来事もあり、スポーツ車のイメージはあまり高くない。
加えて円高が進み、断トツの海外向けスポーツ車も縮小していた。
—こうした背景のもと、80年代のバブル経済とともに、需要が大きく伸びてきたスポーツ車に焦点を絞り、ブリヂストン追撃を開始した。
ロードレース大会では、ブリヂストンが日刊スポーツ新聞と提携するや、スポーツニッポン新聞と組んで“ナショナルカップ”を開催した。このときは、まだナショナルブランドを使っていた。
84年、自転車事業部長兼自転車工業社長に服部隆一が就任、“3ブランド戦略”を展開する。
スポーツ車ブランドに輸出用のパナソニックブランドを転用、ナショナルブランドは軽快車や子供車に限定。スポーツイメージを確立する戦略だった。

松下電器の3ブランド戦略)
・スポーツ車=パナソニック
・一般車=ナショナル
・量販車=ヒカリ(ハーモーニー)
—服部の後任に、モーター事業部から小本允が就任した。
小本は高付加価値の高級スポーツ車に着目、製販一体となってコンピュータによる “1台流し”の多品種少量生産体制を構築する。
POSこそ、松下の将来を賭けた戦略商品だった。
(3)
1987年6月松下電器は、「POS」(Panasonic Order System)と名付けた高級スポーツ車を発売した。

受発注の仕組みは、自転車店頭のフィッティングスケールでサイズを測定、好みのデザイン・カラーを70種の組み合わせからチョイス、注文をファックスで工場に送ると2週間で納車。ネーム入りもできる。価格は10万円以上と高い。

宣伝もユニークだった—。
媒体もそれまでにない一般向け雑誌に力を入れた。藤子不二雄の漫画を夕刊フジに連載、のちに「プロジェクトPOS」として単行本化になる。

—POSは発売されるや、高級スポーツ車では空前の大ヒットになった。
(4)
1カ月後、東京販社の浜岡紀夫がやってきた。
「横芝部長!POSはますます売れてます。来月から女性モデルを追加、45.000種類のパータンから選べると宣伝している」
「ふーん。取扱店も増えてるの?」
「ナショのセールスは、1.000店を超えたと豪語しています」
「まあ、そのあたりが限界ですね。全国25.000店の自転車店のうち、高級スポーツ車の知識や技術のある専門店は100店もない。だから、俄か仕立ての一般店が契約したのでしょう。それでも、全体の技術力アップには役立つ。悪いことではないね……」
—高級スポーツ車市場がきわめて狭小なこと。横芝がPOS対抗に乗り気がしない大きな理由であった。
当時のスポーツ車は、全部合わせて自転車総需要の15%に過ぎず、年間100万台ぐらい。そのほとんどが通学などの実用に使われ、価格も5~6万円。純スポーツ用はあまりなく、10万円以上の高額車はマニア向けにほんの一握りだけ。フルオーダー車や欧米輸入車を加えても、年間1万台に満たない。だから事業化の魅力に乏しい……。
「浜岡さん、高級スポーツ車市場を広げるのは容易でない。自動車のランボルギーニを大量に売るようなものでね」
「しかし、われわれはいつも業界をリードしてきました。POSにも対抗すべきでは?」
「この業界はいつも真似ばかりだ。どこかがヒット車を出すと、すぐ安い模倣車が現れる。POSはせっかくナショが独自開発したものだ。これぐらいはほっといてあげようよ……」
横芝はあくまでも冷ややかだった……。
(5)
横芝は大量生産大量販売を至上とする高度成長期のマーケティング論者だった。その手法は“フラッグシップ(旗艦)戦法”である。
基幹ブランドの頂点に最上級モデルを据える。それを宣伝して、その良いメージを下級の普及モデルに“滴下”させる。最上級モデルは“お飾り”であり、売れなくてもかまわない。狙いは普及モデルの量販にある。
「POSの場合はちょっと違う。POSそのものが、10万円を超すフラッグシップです。好評でも、それを受け止める普及モデルがない……」
横芝は語る—。
もともとPOSの本質は、オーダーではなくカラーチョイスだ。マニアは予算が10数万円あれば本当のオーダーをする。だからPOSを買うマニアはそう多くない。しかもマニアには、POSが増えると一方でPOS離れする微妙なマニア心理がある。
夕刊フジの連載漫画から考えると、POSは一般客層のイージーオーダー的需要創出を狙っているようだが、10万円台では高すぎて無理だ。5万円台なら量販可能だが、採算的に実現は困難だろう。
いずれにしろ、今のPOSには量的拡大に限界がある……。
そのうち拡大が必要になり、今より廉価なロードバイク・MTB・トライアスロンをPOSに入れてくるはず。しかし、それらの客層はスペックにこだわらず、オーダーを謳うPOSに興味を持たない。需要が一巡すれば、それも行き詰る……。
横芝は評論家のように言う。
「そうなっても、パナソニックのブランドイメージ効果は残る。だから、ナショのスポーツ車全体にとって、POSの持つ意味はとても大きい……」
市場ではPOSは日に日に勢いを増し、ブリヂストンの販売網を蚕食する。社内外に、無策の横芝を非難する声が高まっていった……。
(続く)