早春の夕暮れ、届いた日本経済新聞夕刊をめくると、自転車の写真が目についた。オヤオヤと見ると、「こころの玉手箱」というエッセイのなかにあり、「ブリヂストンの自転車」と題されている。
中段には、「丈夫で役立つ理想の働き」とサブタイトルがある。どうやら自転車の誉め言葉のようだ。急いで読んだ。
(日本経済新聞3/2夕刊「こころの玉手箱」の記事)
書いた人は、東京青山の弁護士福井健策さんである。
福井さんは、21年間自転車通勤を続けているという。現在は朝20分、帰りはちょっとつかれて25分、毎日のように自転車に乗る。愛車はママチャリから数えて4台目だそうだ。
エッセイでは、ご自身の仕事振りを自転車にたとえてある。それを引用させていただく—。
「弁護士はもらった報酬を超える、依頼者にとって役に立つ仕事をしなければならないと思っている。でなければお金をいただく資格はない」
「毎日乗っている緑色のブリヂストンの自転車は、そんな僕の理想に近い。丈夫で物に見合った価格がついている。安い量産品ではないが、超高級品でもない。しっくりと気持ちがいい。誰かが決めた高級品に乗っかるのは、何となく格好悪い気がする」
—とても嬉しい誉め言葉である。急いで、この自転車の価値を検証してみた。
(ブリヂストン「マークローザ」/コバルトグリーン 小売価格47.800円)
この自転車のフレーム形状はスポーツに適したダイヤモンド型、タイヤサイズも大きめの27インチ、男性向きの車種である。アルミフレームで軽量化され、外装7段変速機も付き、ハンドルはフラット、サドルも細身である。重量は16.5kgと軽く、スポーティで軽快な走りに適している。
実用性も備えている—。
夜間に自動点灯するライト、水撥ねを防ぐ長いどろよけ、ズボン裾の巻き込み防止ガード……さらに福井さんの愛車には、書類カバンを入れるフロントバスケットがオプションで付いている。
車格はスポーツ車だが実用向きに仕立てられている。軽快車との中間的車種であり、通勤には最適だろう。若者の街乗りにも使われている。
価格面から考察すると—。
自転車の2大用途は、実用とスポーツ用である。日本では実用中心のため、品質機能による差別化が難しく、コモデティ化もはやく、安売り価格競争になりやすい。このため、自転車産業は価格との戦いを繰り返してきた。
—歴史を振り返ると、戦後は自動車の普及とともに自転車の実用需要は大きく減退、1950年代には衰亡の危機を迎えた。
この打開のため1960年代になると、自転車メーカーはマーケティングを研究、多くの新製品を開発して新需要を喚起した。
新しく創造されたミニサイクル・軽快車・スポーツ車により、通学・通勤・買物需要が増大、その7割以上が5万円を超す中・高価格帯だった。なかには電装満載の少年スポーツ車のような行き過ぎも現れた。
ともあれ自転車は、高品質高価格の価値ある耐久消費財として広く普及した。
ところが70年代後半、スーパーなどの新流通チャネルが、低品質低価格の問屋車の安売りを開始、価格破壊が始まった。
加えて、1万円を切る粗悪な品質の台湾・中国製輸入車が大量流入、自転車は使い捨て化され、駅前には大量の放置車が溢れた。
自転車の価値観は下落、それまでとは逆に低価格商品群が全体の7~8割を占め、採算のとれないメーカーの倒産が続出した。
生き残った大手メーカーは戦略を転換した。過剰品質や華美な付属品を排除、適正品質を維持しながら一定の付加価値を付け、価格は3~5万円の中価格帯を中心にするマーケティングを志向した。自動点灯ライトはこのころの産物であった。
近年ようやく過度な低価格競争は収まった。実用では電動アシスト車のような新機能が生まれ、スポーツ用でもロードバイクが流行し、一部の高価格車種を除けば価格も適正水準に落ち着いている。
—エッセイのなかの“丈夫で物に見合った価格”の自転車とは、このマーケティングの流れに沿ってつくられたものである。福井さんの表現は簡潔だが、まさにものづくりの正鵠を得た言葉である。
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