太平洋の水を日本海にそそぐ/ 準備編

アツシは東京の自転車メーカーに勤めるサラリーマンである。フルネームは浦野篤(うらのあつし)という。3人兄弟みんなが小学生時代からボーイスカウト活動をしていたため、単にアツシとだけ呼ばれていた。中年になった今も、それが通称になっている。

この物語は、アツシと仲間たちが少年時代の夢を追う、自転車旅行記である……。

(アツシです)

すべてはFacebookから始まった

2013年春のことである。facebookを覗いていると、自転車の写真が目に飛び込んできた。添えられたコピーを読む—。

この文章の表現力、小学生的な思考回路。うん、間違いない。この顔はボーイスカウト時代の先輩カンタさんだ!

(カンタさんのfacebook その1)

10年ぐらい前、東京晴海の行きつけの自転車店でバッタリ出会い、そのまま呑みに行ったがその後連絡を取っていない。7歳年上のはずだが、今は何をしているのだろう?

アツシが自転車に乗るきっかけは、カンタさんの影響だった。高校生の時、カンタさんたちボーイスカウトの先輩が当時は珍しかったロードバイクに乗り始めた。アツシも真似して購入、それ以来自転車歴35年のライダーである。

久しぶりに、カンタさんに会いたいなぁ。

よし!呑みに誘おう……。

某月某日、都内の某居酒屋にて

アツシはカンタさんと居酒屋で再会した。2人とも酒が大好き、昔話から近況まで話は弾んでいく。

「今でも自転車にはよく乗るのですか?」

「一度は止めていたんだが、半年ぐらい前からまた乗り始めてさぁ。休日にはMTBに乗って、荒川サイクリングロードを走ってるよ」

「その道路なら自宅のすぐそばなので、アツシもよく走ってますよ。今度、一緒に走りませんか?」

「いいねぇ、そうしたら泊りでどこかに走りに行かない?輪行でもいいよね」

「いいっすね。どこがいいかなぁ……」

突然、アツシは思い出した―。

「先輩、それならアレやりませんか?」

「アレって?」

「昔、ボーイスカウトのプロジェクトで考えてた、アレですよ」

ボーイスカウト活動は、高校生年代になると移動キャンプが中心になる。一人ひとりがテントや食料を背負い、数日間にわたって宿泊場所を変えながら、徒歩や自転車を使って移動してキャンプをする。移動する行程や課題は自分自身で設定し遂行する。それを プロジェクト(課題)と呼んでいる。

「あのころ、皆でよく『東京湾で太平洋の水を汲み、ボトルを担いで新潟まで歩き、その水を日本海にそそぐ』って、言ってましたよね」

「アレかぁ」

「当時は歩くつもりだったけど、今なら自転車でいけるかと……」

もちろん本気であったが、東京湾から新潟・直江津までは400km近く、徒歩なら10日間以上もかかり、費用も大変である。結局は断念した少年時代の壮大な夢物語だった。

「いいんじゃない。実はアレ、俺が中学生のころ日本地図に線を描いて、東京湾の水を持って日本海に行きたいなって、密かに夢見てたの、それをみんなに話したのがきっかけでさ……」

「そうでしたね。普通は日本を縦に移動することを考えますが、列島を横に切るカンタさんのアイデアには興奮しましたよ」

「大人になった今なら実現できそうだよね。あの頃の夢を叶えたいなあ。アツシ、計画立ててよ!」

スタートは葛西臨海公園

「アツシ!竹芝桟橋は駄目だ!」

なにやらfacebookにカンタさんが書き込んでいる

(カンタさんのfacebook その2)

それは、横断旅行のスタート地点に予定していた東京・竹芝桟橋では水が汲めないというカンタさんの下見報告だった。

さてどぉしたものか……?

カンタさんに電話した。

「東京の葛西臨海公園なら東京湾の水を簡単に汲めますよ。ここをスタートして、荒川サイクリング道路を北上すれば、都内の車を気にせず埼玉の熊谷まで行けます」

「それ、いいじゃん!それなら安全だな」

熊谷から新潟方面に行くには、17号線をそのまま北上するか、途中の藤岡から18号線で直江津方面へ向かうかの2つのルートがある。

「カンタさん、どっちにしましょうか?」

「キツイ場所があったほうが冒険っぽいから、18号経由の碓氷峠越えで行こぜ!」

「ロングライド2日間かぁ、結構ハードですけど、当日まで練習できますか?」

「よし、練習するよ。今はMTBしか持ってないから、ロードバイクを買おうかとも考えているんだよ……」

「では、今年の夏休みの2日間に決行しましょう!」

ルートラボは便利なサイト

ルートラボはサイクリングや道案内に役立つサイトである。目的地までの距離や標高差を調べたり、スマホで仲間と情報共有ができる。

サイトを開き、カンタさんとコースを設定した。碓氷峠を越えて軽井沢を抜け、上田から長野へ。そこから野尻湖のそばを通り、直江津港へたどり着く。ざっと380kmである。

(ルートラボを使ってコースを設定する)

自転車経験者といっても、カンタさんは最近再開したばかりのいわば初級者だ。しかも既にオッサン化して、タバコも大好き、腹も出ているポッチャリ体系である。

問題は……まだ一緒に走ったことが無い!だから、カンタさんの実力が解らない!

うーん……。

碓氷峠登り切ったところまで約180km。その手前で1日目を終えると、全長380kmなら翌日は200kmも走らねばならない。それはカンタさんの自転車力からダメだな。やはり1日目に180kmを越えて、どこまでいけるかが勝負だ。

比較的ゆっくり目の時速25~28kmとして、1時間の平均巡行距離は約20kmだな。夏は朝4時過ぎから明るくなり、18時過ぎまでは走れるから、14時間は走れる計算だ。なるべく早く出発して、時間を稼ぐか。碓氷峠を登り切ってしまえば、軽井沢から先は下り基調だから、どこかの宿で1泊できる。

これは……、もう……、不安しかない(笑)

でも、それはそれ!覚悟を決めて何とかするしかない。

何とか、なりそうだな……。

「カンタさん、初日の出発時間は4時にします」

「それは、ちょっと早いなぁ……」

「そのかわり、スタート地点の近くで前泊しましょう」

「おっ、なるほど。前夜祭もできるな」

要するに、一杯呑むことだ。

「問題は初日にどこまで行けるかわからないことです。だから、宿は予約しませんよ!18号線の国道沿いにはビジネスホテルが結構あります。行けるとこまで行って、宿を確保しようかと……」

「それでいいよ、アツシに任せるよ」

問題はコースだけではない、カンタさんの実力だ。

当日の走り次第で、かなりタイトなスケジュールになる。

「あれから練習してますか?」

「ぼちぼち、やってるよ」

「……つまり、練習はほとんどしてないってことでしょ?まじヤバイ距離ですからね!」

「わかったよ、やるよ練習、ちゃんとやるってば」

と言ったところで、カンタさんのこと、まともに練習はしないことは解ってはいる……。

トラブル発生! ロードバイクかMTBか

出発まであと1か月、カンタさんから連絡がきた。

「……まじっすか?」

「どうにもならない!アツシ!MTBで行こうぜ!」

「えぇ!」

「馬鹿野郎!冒険に行くのにフェラーリで行く奴がいるか!ジープだろ、ジープだ!」

(これがロードバイク? )

( これがマウンテンバイク?)

なにか、押しやられた感じで、アツシもMTBで行くことを覚悟した。幸い自転車メーカー勤務、柔軟に対応できる……。

まぁ、MTBでも平均巡行距離20km/hは稼げるだろう。あとは出発まで余分なトラブルがないことを願うだけだ……。

3年前