およそ40年前、日本初のFIカーレースと自転車ロードレースが、「富士スピードウェイ(略称FISCO)」で同日開催された。その日、歴史に残るF1大事故が発生する……。
この物語は自転車サーキットレースにまつわる忘れられた秘話である。
FISCOは、2020東京オリンピックのサイクル個人ロードレースのゴール予定会場である。
(1)
1977年10月23日(日) それはモータースポーツにとっても、サイクルロードレースにとっても、運命的な日であった……。
富士山麓にあるFISCOのサーキットには、100人を超える自転車競技の選手たちが、勝負服に身を固め、愛車に跨りスタートを待っていた。
コースを見下ろす高く広がる観客席の中央に、幔幕で囲まれた特設コーナーがあった。そこには、主催者とおぼしき揃いのブレザーを着た数人の男が座っている。
午前9時ジャスト、司会者の紹介に応じ、男たちのなかからブリヂストンサイクル販売担当常務が立ち上がって挨拶した。
「本日は日本で初めての、F1日本グランプリ決勝戦が開催される歴史的な日であります。それを記念して、同じFISCOで自転車個人ロードレース開催が実現しました。アマチュア選手による自転車サーキットロードは、F1グランプリと同じく、日本で初めてです!」
その声は、マイクを通して早朝から詰めかけた5~6万人の大観衆の頭上を超え、見渡す限りの富士の山並みに響いていく。
「欧米では、F1を初めモータースポーツが盛んであります。しかしサイクルスポーツは、ツール・ド・フランスで知られるように、もっと盛大です。残念なことに、日本ではロードレースが少なく、観戦する機会がほとんどありません。本日は、自動車のF1レースと併せて、自転車のレースも楽しんでください!」
やがてピストルの音が鳴り、一斉にスタートした選手たちは、位置取りを決めながらサーキットを3周、大観衆に声援されてFISCOの外に走り出ていった……。
(2)
F1レース開催の半年前 。
ブリヂストンサイクル企画部長横芝正志に、1本の電話がかかってきた。ブリヂストンタイヤ同期入社のモータースポーツ担当課長からである。
「横芝君、久し振りだね……。ところで、折り入って頼みがあるのよ」
「君の言うことなら何でも聞きますよ」
横芝は冗談めかして答える。
「こんどのF1を、タイヤがスポンサーしたことは知ってるよね?」
「もちろん!」
「F1に出場する選手やメカニックたちは、レース数日前からFISCOに泊まり込むそうだ。山の中だから練習や整備が終わると、何もすることがない。そこで主催者から提案があった」
「ふーん、何を?」
「フェラーリやマクラーレンなどのクルーには、自転車好きが多くてね。FISCOのサーキットで自転車競走をやりたいそうだ」
「……」
「ブリヂストングループがタイヤだけでなく自転車も生産していると知って、ロードレーサーを貸して欲しいと依頼してきた。それぞれのクルーがチームをつくって、1台を乗り継ぐリレー方式のレースをやりたいらしい」
「何台ぐらい要るの?」
「7~8台あれば足りるようだ。中古車でも構わないよ」
横芝は即答した。
「わかった。ピカピカの新車をFISCOに届けるよ」
(3)
横芝は電話をきると、F1レースの資料を集めた。
F1とはフォーミュラ・ワンの略で、4輪1人乗りのフォーミュラカーレースの世界選手権を意味する。国際自動車連盟(FIA)主催のモータースポーツの世界最高峰である。世界各国を転戦し、レース毎の順位による獲得ポイントの総計でチャンピオンを決定する。欧米では、F1レースは最も人気の高いモータースポーツである。
それまで日本では、独自にフォーミュラレースを実施していたが、前年(1976)からFIAと合流、「F1世界選手権・イン・ジャパン」と名付けて同時開催に踏み切っていた。だから厳密にいえば、76年が日本最初のF1開催年であるが、今回正式に「F1日本グランプリ」を名乗ったので、77年が初のグランプリ開催年ともいえた。そのころF1は、日本でも急速にブーム化していた。
会場となった富士スピードウェイは、静岡県駿東郡小山町にあり、三菱地所系子会社により運営されていた。1960年代の高速道路建設に伴い、長時間走行可能な国産車開発のニーズに応えて、1966年にオープンされた2輪・4輪用サーキットである。
1965年にオープンした「伊豆サイクルスポーツセンター」は一時期FISCOの用地に擬せられたというから、FISCOは自転車と無縁ではないが、当時はモータースポーツ専用であった。
現在FISCOはトヨタ系列となり、自転車レースもたまに開催されている。
(1977年当時の富士スピードウェイ)
因みに、2020東京オリンピックのサイクル個人ロードレースは、男子は東京調布をスタート、山名湖から富士山麓を迂回して、ゴール会場のFISCOまでの270kmを走破する。女子は富士山麓をカットしてFISCOまで140kmを走る。
さらに世界各国のF1開催事例を調べてみると、自転車が盛んな国では、午後のF1レース開始前に自転車レースをしていることがわかった。ロードレースが盛んな国では、それも人気があるという。
(4)
そうだ、FISCOで自転車ロードレースをやろう!しかも大観衆の前で!どのメーカーもやったことのないイベントだ、と横芝は思いつく。
当時の日本の自転車需要は、1970年前後から始まった自転車ブームが過ぎ、73年の750万台をピークに500万台に激減していた。加えて低価格車のママチャリが増大していて、企業ニーズとしてもスポーツ車需要振興が急務であり、マーケティングを担当する横芝の狙いもそこにあった。
直ちにブリヂストンタイヤのモータースポーツ課に電話した。
「こんどのF1レースと同じ日に、本格的な自転車ロードレースができないかねえ?」
「何だね、それは?」
「F1のスタートは午後からだろう?午前中はただ観衆が集まるのを待っているだけだね。その空いてる時間に自転車レースをやりたいのだが」
「そんなことが可能かなあ?」
「世界のF1会場では、自転車レースも開催するところがあるそうだ。日本では、サイクルロードレースはマニアだけのマイナーな世界だから一般には知られていないのよ。トラックレースは競輪が盛んだが、マイナスイメージもあってね。F1とロードレースを組み合わせれば、話題づくりにもってこいなんだ。観客も退屈しのぎになる。一石二鳥だよ」
「わかった。検討してみる……」
しばらくして、F1主催者の承認が得られたと連絡があった。
概容は、Fグランプリ決勝戦がおこなわれる日曜日の午前中に、FISCOのサーキットと会場外の一般道路を使って、アマチュア個人ロードレースを開催すること。
急きょ、地元警察に出向き道路使用許可をとり、同時に日本アマチュア自転車競技連盟を通じて出走者を募集、100余名の選手がFISCOに参集した。
(5)
ところでサイクルロードレース実現のきっかけになった、F1クルー対抗の自転車リレー競走はどうだったか 。
予定通り、決勝戦前日の土曜日午前中にサーキットの周回で行われた。
予選日のため観衆はまばらだったが、F1のスター選手や有名クルーたちがファンの声援に応えて激走した。ときには、自転車を受け渡すリレーのバトンタッチのまごつきが笑いを呼び、余興とはいえ大変な人気であった。
優勝チームには、横芝の依頼により、キャノンから最新型カメラが提供された。メカ好きのクルーたちは、覗いたり写したり、格好の話題になっていた。
(6)
いよいよ決勝戦の日のサイクルロードレースが始まった 。
サーキットを走り抜けた100余人の選手たちは、縦長の列となって富士山麓の郊外を走り続けた。やがてトップグループを形成、互いに牽制しながら1時間経過するころFISCOに帰ってきた。最後の3周でトップ争いを繰り広げたのち、優勝者が両手を挙げてゴールインした。
F1取材で集まっていた朝日・毎日・読売の新聞各社、TBSなどテレビが優勝者を取り囲みインタビューしている。もともとこれらのマスコミは、自転車レースなど眼中になかったはずだが、場内の熱気に押され熱心に取材している。
選手たちも日ごろは注目を浴びることがないためか、10万余に膨れた大観衆の歓声のなかで、勢い込んでマスコミに対応している。
これはうまくいった、明日のマスコミ報道が楽しみだ、大きな扱いでなくても自転車レースの模様やインタビューは掲載されるはずだ、と横芝は喜ぶ。
今までほとんどマスコミ報道されないサイクルスポーツに、これで少しは光が当たるだろう、これからもF1と組んでサイクルスポーツ振興に役立てたいものだ、と期待は膨らんだ……。
(7)
ところが、その直後に悲劇が襲ってきた 。
(クラッシュして宙に舞うF1カー)
当時の新聞は、こう伝えている。
F1レース5周目、第1コーナーに進入してきた、ジル・ビルヌーブ(フェラーリ)とロニー・ピーターソン(タイレル)がクラッシュした。激突されたビルヌーブの自動車は、立ち入り禁止区域に無理に入っていた見物客に突っ込んだ。観客の死者2名、重軽傷7名の大事故になった。レースはそのまま続行され、ジェームス・ハント(マクラーレン)が優勝した。
(事故を伝える日刊スポーツ)
マスコミは事故のニュースを繰り返し報道した。禁止区域の取締り不十分と、死亡事故にも関わらずレースを継続した主催者に非難が集中した。
主催者はF1レース開催中止を発表。それから10年後の1987年に「フジテレビ日本グランプリ」として鈴鹿サーキットで再開されるまで、日本でF1が開催されることはなかった。
もちろんF1と組んだサイクルロードレースも、二度と開かれることはなかった……。
(8)
F1の終わった翌朝 。
全マスコミの報道は、F1事故一色であった。期待していたサイクルロードレースの記事は、社会面はもちろんスポーツ面も、どこを探しても片隅にさえなかった。撮ったはずの笑顔満面の優勝者や、銀輪を輝かせながら集団走行するロードレースの写真は、どこにも見当たらなかった。
努力は水の泡だったなあ、と落胆している横芝に電話がかかってきた。
「日刊スポーツ新聞社です。F1の自転車レースの担当者はいらっしゃいますか?」
レースの追加取材かな、と電話をとる。
「サイクルロードレースの開催を企画しています。ご協力いただけませんか……」
捨てる神あれば拾う神あり。横芝は踊り上がる気持ちを押さえて、受話器を固く握りしめた。