有明闘病物語

今や2人に1人が、がんになる時代である。内閣府の調査によると、18歳以上の男女のなかで、がんを怖いと思う人が72%いる。

死亡者の多い3大がんは、胃がん、大腸がん、肺がんである。なかでも胃がんに罹る人は年々増え続けている。だが最近は、医術の進歩と早期発見の増加により、逆に死亡率は減少している。

胃がんは男性に多く、5年生存率は73.1%である。

——この物語は、迫りくる老いを意識しているひとりの男が、はしなくもがんを患い、そして闘う体験記である。

(1)

突然のことだった。私がその宣告を受けたのは——。

「この部分を見てください!これは、まさしく胃がんです!」

近所の掛かりつけ医が、胃カメラのフィルムの真中に、傷のように赤くなっている部分を指さした。

——がん!

晴天の霹靂(へきれき)、寝耳に水。目の前が真っ暗になった。今風なら頭が真っ白になった、と言うべきか。ともあれ驚いた。自覚症状が全くなかったからだ。

突然のがん宣告に動転するかと思ったが、そうでもなかった。

シニアだからがんは進行してないはず、まさか死ぬことはあるまい、と心が静まり、持ち前のポジティブ思考が頭をもたげてきた。

——胃がんの大きな原因とされるピロリ菌は退治したはずだ。だからこの2年間は、渋谷区の無料のバリュム検診で済ませていた。

しかし面倒でも、より精密な胃カメラ検査をやるべきだった。がんは細胞の異常分裂と聞く。だとすれば、効果的な予防法はない。

でも、今回は自己負担になる費用を厭わず、胃カメラにしてよかったなあ……。

それにしても、癌という字はおどろおどろしい。読めるが書けない漢字だな、と茶化す気分にさえなってくる。俄然、闘争心が湧いてきた。よーし、闘うぞ!負けてたまるか! 

(2)

「どこか希望の病院がありますか?」

掛かりつけ医が聞いた。

「さあ……。昔手術したことのある三井記念病院、卒業生割引のある慶応義塾大学病院、それと新築したばかりの新宿の東京医科大学病院なら通ったことがありますが」

「そのクラスの病院なら、あなたのがんを問題なく処置できます。でも総合病院には、がん専門医は少ないのですよ……」

何となく歯切れが悪い。

「先生、がんと聞いたからにはベストを尽くそうと思います。遠くてもかまいません。できるだけ迅速に、最も短期間で処置できる、がん専門病院を紹介してください」

「それなら、江東区有明のがん研究会有明病院がよいでしょう。築地のがんセンターもよいのですが、国立だけにあなた向きではないかも知れませんね」

——癌研は、新宿から埼京線木更津行に乗り国際展示場まで直通30分、この路線は初めてだった。

最初の日、混み合う電車に乗り込むと、若者に席を譲られた。病人に見えるから?それとも年寄りだから?……座れるのは嬉しいが、受け入れたくない気持ちが湧く。でも、もう若くはないのだなあ。

それから2週間、続けて3回通い、胃カメラによる精密検査と他の臓器への転移を調べるCTをすませた。どうやら転移は無さそうである。

がん研は多数のがん患者を診る専門病院らしく、病状のランクによって手技がパターン化されていて、担当医は手際よく手術の説明をする。

がんは早期がんの段階。麻酔して内視鏡を口から入れて、病巣を3センチほど切除する。時間は2時間ぐらいという。

(胃内部の写真。赤い部分が12ミリのがん。黒く見えるのは術具。白い丸線に沿って周辺30×38ミリを大きく削り取る。「上部内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)」という)

粘膜内の小さながん病巣の切除法

①粘膜下層に生理食塩水を注入し、がん病巣のある粘膜を持ち上げ、スネア(輪わな)で括る。病巣が粘膜にとどまっていれば完治しやすい。下層に向かって深度が増すほど重症になる。

②スネアを締め、高周波電流を通電し、病巣を含む粘膜を焼き切る。

(図は大阪がん循環器病予防センターHPより)

「手術中に出血や穿孔、まれには肺炎などの合併症を起こして、死亡した例もあります」

と、脅されながら、私は治療方針同意書にサインした。

「切除標本の組織検査によって病巣を完全除去できていない場合は、再度内視鏡または外科手術をします」

外科医ではなく内科医が内視鏡手術することを初めて知った。

がん発見から3週間、絶食を指示された検査日の前後を除き、体力づくりのジム通いと最後の晩餐とばかりワインを楽しんだ。酒は控えろと言ったはず、と医者には叱られたが……。

(3)

いよいよ入院して手術をする日がきた——。

看護部作成のがん生活の心得を説明した小冊子を渡される。

「これまでの生活の継続を」とか、「できるだけ快適な生活を」、「あなたが医療チームの主役」などと書いてある。

(小冊子の表紙 監修:がん研看護部)

よーし、わかった。
それならがんとの闘いは楽しくやろう、快適にやろう、と差額ベット代をはずんで個室を選んだ。

スポーツ選手が海外遠征するとき、「楽しんできます」とよく言う。かねがね私は「怪しからん!一生懸命にやります、と言え!」と思っていたが、今ではその気持ちがわかる。

楽しむとはプレッシャーを撥ねのけるための言い方に違ない。私も「病気を楽しむのだ……」とつぶやいた。何となく変ではあるが……。

——午前11時入院棟に行くと、コンセルジュと称する美貌で知的な女性に案内され、病室で入院手続きをする。

待ち時間がなくて、こりゃあ楽だね、と悦ぶ。

個室を見まわすと、5坪足らずだが設備が整っていて快適そうだ。

パジャマ、ガウン、バスタオルなども揃っていて、毎日交換してくれるという。アメニティセットもある。

嬉しいのは毎朝、望みの新聞を届けてくれることだ。

(一週間過ごした病室。冷蔵庫・テレビ・電話・応接セット・インターネット無線LAN・タブレット端末・トイレ・シャワー・ロッカー完備。バスタオル、フェイスタオル、ハンドタオルのタオルセット・シャンプー、歯ブラシなどのアメニティセットなど日曜品が常備されている)

ホテル以上のサービスだ、と思っていると、冷たく宣告された。

「では、手術着に着替えて、車椅子に乗ってください」

入院して1時間後、すぐ手術をすると言う。

素早くてよいな、とまたまた悦ぶ。

看護婦は私を連れ出し、手術室付きの看護婦に引き渡す。そのとき看護婦2人は、胸から下げた写真付き身分証を互いに相手に示し、名乗り合う。顔なじみ同士でも必ずそうしている。

私も名前と生年月日を暗唱させられ、看護婦が私の腕に取り付けた紙製リングのバーコードでそれを確認する。その後もこれらの手順はしばしば繰り返された。これなら患者の取り違えは起こらないだろう。

私はプロらしい仕組みに安心し、手術台に横たわり麻酔を打たれた。

眠りに落ちながら、昔の大手術のことを思い出していた……。

(4)

あれは20年前、横浜に住んでいたときのことである。

 

夜半から断続的に腹部が痛かったが、まあ持病の胆石だろう、そのうち収まる、とタカを括り、早朝から車を運転して東京に向かった。

 

ところが、しばらくすると痛みが強くなり、脂汗が噴き出してくる。これはダメだと車を止めると、目の前に大きな病院の看板が目に入った。たまらず急患に飛び込んだ——。

たまたま出てきた夜勤の若い当直医が、私の目を見て即座に言う。

「この紙は、何色に見えますか?」

「黄色です」

「いいえ、白色です。あなたの目には、すでに黄疸が出ていて、白い紙が黄色く見えるのです。原因は胆石です。手術が必要です」

「え?」

「このまま運転していたら命にもかかわります。即刻入院してください」

それから1週間、とても手術できる状態ではないからと、病室に横たわり点滴だけで安静にする毎日だった。

私も長期戦の構えで、胆石に関する本を取り寄せ研究した。

 

——肝臓には消化器に胆汁を流す胆管がある。その胆管に小さな胆のうが柿の実のようにぶら下がっている。胆のうは一時的に胆汁を貯め、脂濃いものを食べた場合に放出する。ときとして、胆のうのなかで胆汁が石化し胆石になる。その胆石が胆のう管を通過すると激痛を伴う。昔の人が言った「瘧(おこり)」とか「癪(しゃく)」はこれだそうだ。一般的な手術法はメスで腹を縦に真っすぐ切り開き、胆のうを全摘する。

本には、開腹手術に替わって、身体に負担が少ないとして欧米で主流になっている腹腔鏡手術が紹介されていた。腹部に小さな穴を数カ所空け、ファイバーを挿入してディスプレイを見ながら手術する。当時の日本は導入期でまだ普及していない。

「先生、腹腔鏡手術のことをご存知ですか?」

「当院にも設備はありますが、私はまだやったことがありません」

「できるなら、開腹でなく腹腔鏡でお願いします」

「是非、やらせてください!最善を尽くします!」

医者はひとりで興奮している。

そんな成り行きだったが、よくよく考えると未経験ならモルモットになるようなものだ。そもそもあの医者は、たまたま夜勤中に私を診たから担当になったに過ぎない。しかも大男で芋虫のような大きな指をしている。とても手先が器用には思えない……。

外科医は、医者と言っても歯医者のように職人芸が必要だ。画面を見ながらメスを操作するなんて、あの医者には出来っこない。豚か何かで練習したかもしれないが、何度か切り間違えるに違いない……。

(5)

思い切って、長年の友人で主治医でもある、秋葉原の三井記念病院の副院長に電話した。

「君が緊急入院したと聞いて心配していた。そんな事情ならうちにいらっしゃい。君のカルテもあるし、外科部長は手術がうまいと定評がある。腹腔鏡手術も多数経験している。すぐ病室を手配しておくよ」

そこで大男の担当医の休みの日を聞き出し脱出した。

「医者の許可のない退院なんて!絶対にダメです!二度とこの病院には出入りできませんよ!」

看護婦の怒りの声を背中に聞きながら勝手に退院した。

——安住の地を求めたはずの三井記念病院でも問題があった。

精密検査をしたのち、外科部長が言う。

「この胆石は古強者ですわ。20年物と言ってもいい。しかも小さな石がたくさんある。腹腔鏡でも胆のうの全摘はできるが、他に浮遊している石を全部拾うのが難しい。やはり開腹が無難です。隔膜に沿って斜めに小さく切るから、傷跡はそう大きくなりませんよ」

「……」

「やれと言われればやりますが、あなたの胆石に腹腔鏡でチャレンジするのは、日本では浜松医科大学病院、慶応病院ぐらいでしょうね……」

結局、開腹に決まって5時間、家族が安否を気遣うころ胆のう摘出手術は終わった。

おまけに院内感染して、切開した腹部が膿を持ち、退院がさらに1週間長引いた。

それでもよいことがある。当然のことだが、もう、胆のうがんには罹らないことだ。

苦闘の歴史を秘めたその胆石は、引き出しの小さなガラス瓶のなかに、今では細かい砂になって残っている……。

(6)

話を元に戻そう——。

がん研での内視鏡手術は無事に終わった。

目覚めたのは病室のベッドの上、術後の痛みは全くない。腹腔鏡でも開腹でもないから、外傷はない。

それから毎日、ひたすら静養し検査を繰り返す。

治療はチーム編成で対応する仕組みである。

医師6名・看護婦2名のチームが24時間体制で担当。医師は毎日1~2回、看護婦は毎日2~3時間ごとに病室にきてチェックする。

あえて看護婦という死語を使ったわけは、男の看護師は1度も部屋にこなかったから。私には女性のナースの方が望ましい……。

1日3回、体温と血圧、それと指先から体内の酸素量を測る。面白いのは、平たいものを尻の下に敷いて座る検査。床ずれを起こす体質かどうかを測るそうだが、文字通りのケツアツ測定である。

術後2~3日は、排尿時に転ばないように看護婦をベルで呼ぶ。排便はつど看護婦がきて出血のチェックをする。何となく、気恥ずかしい。

看護婦は愛想がよい。退室のときには「お邪魔しました」、「失礼します」などとは言わない。一様に「ありがとうございました」と言う。少し文脈が変だが、心が和む。

——さすが100年の歴史を誇るがん研である。

医師は専門医が100人、看護師、栄養士、薬剤師、検査技師などの専門職、事務員や外注下働きを含めると3.000人近くいるそうだから、人手は十分にある。行動は標準化、マニュアル化されているらしく、動作はきびきびとしてあまり待たされない。とてもスピーディーだ。

そうでなければ、全国から押し寄せる何千人もの患者と700の病床をとても捌けないだろう。

(7)

時間はたっぷりあった。テレビを見たり、新聞を読んだり、備え付けのタブレットで株式相場をやったり、携帯電話を掛けたり。たまには院内をゆっくりウオーキングする。

なかでも読書に集中した。お陰で近ごろ減っていた読書習慣が戻ってきた。分厚いハードカバーを5冊も読破できた。

退院したら、お世話になった院内のがん研ライブラリーに、拙作「自転車物語」前後編2冊を寄贈しようと思う。

 

——日曜日には「じいじ、早く治ってね」と手書きした幼い絵をおみやげに、3歳と7歳の2人の孫が見舞いにきた。可愛い盛りである。

病院の隣の空地には自転車イベント会場がある。その日は大勢の親子連れが集まりレースをしていた。

(病院に隣接する仮設のBMX会場。子供たちがスタート台に並び、BMXもどきのレースが始まる)

「自転車を借りて、君たちも遊んできたら——」

病院の窓越しに遠望していると、孫たちは会場に駆け付け、ストラーダー(ペダル無し自転車)に乗り、かなりのスピードで走り回っている。

我々の子供のころには、あんなものはなかった。子供車もほとんどなかった。皆がダイヤモンド型フレームの大人車に片足を突っ込んで、車体を傾けて乗る「三角乗り」で練習したものだ。

子供のレースもあったりして、きっと多くの自転車好きが生まれることだろう。

(ストラーダ―や子供乗り物で遊ぶ、7歳の女の子と3歳の男の子の2人の孫)

それにしても、子供は元気がいいなあ、と若さが眩しい。

我ながら、病を得た老残の身が侘しい。でも、孫の若さと比べるのはどだい無理な話だ。年寄りは年寄りなりに頑張るのだ!

クリントイーストウッドの映画「運び屋」の主題歌「老いを迎え入れるな」に因もう……。

——夜になると12階から眺める夜景が素晴らしい。

林立する高層ビル群の左右に、ライトアップされた東京タワーとスカイタワーが輝いている。高速道路を疾駆するヘッドライトの光の流れのなか、寂しい病室はスカイレストランに早変わり——と、空想する。

ディナーの潰瘍食500カロリーが終わるころ、アラフォーとおぼしき美形の看護婦が検査にきた。

「これでワインがあればね……」

「私もワインが大好きです。病院食には何が合いますか?」

「そうねえ……」

食事のメニューを見ながら答える。

「やはり白でしょう。イタリアかカルフォルニアのさっぱりしたやつ。メインにはドイツかアルザスの辛口のリースリングかな……」

(夜景を眺めながらの病院食。手に持つメニューは、メカジキの照り焼き・ハンペンとじゃが芋煮・粥・みそ汁・バナナ・お茶 全6品 546カロリー)

うんちくを傾けていると、

「では、保湿ローションを塗りましょう。立ってパジャマを脱いで背中を向けてください。部屋が乾燥していて肌が荒れますからね」

そうだよな、これ以上しわが増えても困るんだ……ミルクのような白い乳液、塗ってもらうと気持ちがよい……。

すると「失礼します」と、アラフォーが私のパンツをぐっと押し下げ、尻にも塗りながらつぶやく。

「可愛いはねえ……またお逢いしたいはね……」

可愛い?何が?お逢いしたい?誰に?オレはもう70数歳だぜ……。

後ろを向くと、アラフォーは壁に貼ってある2枚の絵を見ている。見舞いにきた孫の可愛いみやげである。

そうそう、面会のときにアラフォーも孫たちと遊んでいたわな……。

(8)

 

いよいよその日がきた——。

体温、血圧、脈拍、腸の動き、何ら問題ない。3キロ痩せたが、食欲もあり、よく眠れる。看護婦が確認し、退院が決まる。

「切除部分の組織検査の結果を聞きに、2週間後にまた来院ください。少なくともそれまでは安静にね。もちろんアルコールはダメですよ!」と念押しされる。

胃の粘膜が正常になるまで2カ月ぐらいかかるそうだ。退院証明書を見ても、やはり治癒したとは書いてない。退院しても無罪放免ではない、まだ仮釈放の身だな……。

渡された薬は、潰瘍治療薬1錠28日分だけ、がん治療薬はない。

そうか、がんの傷跡は、人工的につくった大きな胃潰瘍のようなものだな。まあ、当分は御身大切にしよう……。

最後に美貌のコンセルジュが部屋にきた。

「精算はクレジットカードですか?」

入院6泊7日の勘定は締めて473.000円、その7割が部屋や食事代である。これまでの検査費を含めてざっと50万円超なり。がん保険は後の祭り。老後の懐にはちょっと痛い。

がん発見から手術をして退院まで、ちょうど1カ月。速いほうだろう。それにしても心地よい病院生活だったなあ……。

 

——ほとんど使わなかった衣類を入れたカートを引いて、コンセルジュの前を通る。居合わせた10数名の看護婦、職員たちがスタンディングオベーション、数名はドアまで見送ってくれる。

「退院おめでとうございます」の声と拍手のなか、嬉しくなって、

「ありがとうございます。また、来ますね」

と、つい言ってしまった。

(9)

正面玄関で、たまたま渋谷という名の個人タクシーに乗る。

「私は渋谷区の住人、同じ名前で縁起がよいね」

運転手に話しかけた。

同名ならなぜ縁起がよいのか自分でもわからない。とにかく心が弾む。

「タワマンばかりで渋谷とまるで景色が違う。アメリカみたいですね」

「すっかり変わりました。あれが豊洲市場、こちらがオリンピック選手村。……ところでお客さん、今日は退院ですか?」

「そう、まるまる1週間、病院を楽しんできました」

楽しむ?何のことやらわからないだろうな。

「自分はこの近くに住んでいて、がん研の帰り客だけを相手にしています。退院する人は、元気一杯か、げっそりしているか、どちらかです。お客さんは元気組ですね。頑張ってください!」

 

励ましに応えて、私は女子ゴルフの大山志保プロ並みに、小さなガッツポーズをした。そういえば彼女もそろそろシニアだな。

 

同時に、映画「ハスラー2」のラストシーンで、ポール・ニューマン演じる老ギャンブラーが、再起を期して叫ぶ「カムバック!」という声が聞こえてくる……。

よし!オレもやるぞ!

でも、何をやる?

(完)

 ——私は退院後も静養を続けた。ひたすら投与薬を飲み、消化のよいものを食べ、禁酒を続ける毎日だった。

2週間後、組織検査の結果が判明、転移はなかった。1年後の再検査を条件に、いわば1年間の執行猶予付きで、めでたく無罪放免になった。

今では、以前と変わらぬ日常生活を送っている。ワインは控えめにしているが……。

*胃がんの検診を2年以内に受けた人は57%、受けたことがない人は29%、検診で100人に1.5人の割で胃がんが見つかっている。その6~7割は早期がんであり、早ければほとんどが完治するという。

5年生存率は、がんの進行程度により4段階に分かれる。

第Ⅰステージ  97.2%

第Ⅱ 〃    66.0%

第Ⅲ 〃    47.2%

第Ⅳ 〃    7.2%

——私は第Ⅰステージだった。

7か月前