レンタサイクル物語20
レンタサイクル日本史(1)

第一次黄金時代の到来

幕末に渡来して以来、自転車の2大用途は、交通・連絡・運搬などの“実用”か、スポーツなどの“レジャー用”であり、貸自転車の用途も同様であった。

明治大正期には自転車は高額だったため、商売としての貸自転車業が現れ、実用にもレジャー用にも貸し出していた。専業者は少なかったが、自転車店やお茶屋が副業にした。

第2次大戦後価格が下がり、一家に一台の世帯財として普及、貸自転車の出番は少なくなった。一部の自転車店がレジャー用としてサイクリング車を貸す程度であった。

その後モータリゼーションの進展と共に、自転車の実用途は自動車に奪われた。女性の買物用、学生の通学用、子供のレジャー用などの個人財となった自転車には、もはや貸自転車は必要なかった。

ようやく1970年代になり、全国の観光地のホテル・みやげ物店・自転車店が、サイドビジネスとして観光名所を巡るレジャー用に、貸自転車を数台~10数台店頭に置いた。

それに着目した自転車メーカー・ブリヂストンの提唱により、貸自転車は新造語「レンタサイクル」と呼ばれるようになり、大掛かりな専業者も現れた。耐久性を重視した特別仕様のレンタサイクル専用車も発売された。

━70年代はレンタサイクルの第一次ブーム期である。その代表例は国鉄(現・JR)の「駅レンタサイクル」だった。

そのころ国鉄は財政難から「日本交通観光社」を設立、余剰人員を移籍して業務を委託、全国500の鉄道・バス駅の無人化を図っていた。そのなかの観光地にある10~20の過疎駅で、レンタサイクル事業を開始。その1号が青森・子ノ口バス駅、2号が岩手・平泉バス駅、さらに北海道から九州までローカルの鉄道駅に広げていった。民営化後も鉄道時刻表に全国駅レンタサイクル一覧を掲載していたが、近年はJR分社化が進みそれぞれ独自に展開している。

━このように、レンタサイクル戦後史はレジャー用から始まり、軽井沢・山中湖などの観光地中心に小規模なサイドビジネスとして全国に波及していった。反対にレンタサイクルを実用に使うニーズは乏しく、都市における自転車は“時代遅れの交通手段”の感が強かった。

実証実験始まる

だが政府は、自転車を見捨ててはいなかった。2度にわたるオイルショックの経験から、資源の乏しい日本の省エネ対策として自転車に着目、都市交通に使う研究を始めていた。

たまたま米国のケン・コロスバンが、汚染も出さず健康にも良い自転車を活用する「バイコロジー運動」を提唱、米国で自転車ブームが起こった。それは日本にも波及、軽快車やスポーツ車需要の飛躍的増大を背景に、政府は1970年・80年の2度にわたり自転車法を制定、安全利用と自転車道路・駐輪場整備の方針を全国的に推進した。

1975年省エネ対策をまとめた運輸省報告書に、初めてレンタサイクルという語彙が登場、和製英語ながら公用語になった。

1980年建設省の委託事業として、神奈川・平塚駅で初のレンタサイクルが開始され、レジャー用と区別するため「都市型レンタサイクル」と呼ばれた。

━80年代には政府指導のもと、有料で共用自転車を都市交通手段に使ういくつかの実証実験が始まった。運営企業に自治体が補助金を支給する方式である。同時に都市型レンタサイクルという呼称は、「コミュニティサイクル」に変更された。

国交省の刊行物には、この呼称の違いが説明されている。

*レンタサイクルとは、駅などに設置した単数の駐輪場と自宅などと往復する線的利用の交通システム

*コミュニティサイクルとは、相互利用できる複数の駐輪場により面的移動をサポートする交通システム

*単数方式(レンタサイクル)では、埼玉・上尾駅に大きな駐輪タワーを建設

*複数方式(コミュニティサイクル)では、東京練馬区・大泉学園駅に500台配置

実験では、自宅から駅(駐輪場)までを「順利用」、駅から目的地(学校・職場など)まで「逆利用」と呼び、1日2名が順逆4回利用すれば利益が出ると計算した。データはあまり普遍性がないと思われるが、いかにも日本的なキメの細かい試みだった。

駅レンタサイクル騒動始末

1986年、レジャー用「駅レンタサイクル」を観光地の過疎駅で展開してきた国鉄は、新たに大都市の鉄道駅で通勤通学需要目的のレンタサイクルを計画した。それは「シティサイクルクラブ(C・C・C)」と名付けられた。

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(C・C・Cの受付窓口)

駅周辺に増え続ける放置自転車対策を名目にしていたが、国鉄人員削減と売上げ増収策でもあった。

最初の試行駅は、東京を縦断する京浜東北線・東十条駅。1.000台目標に先ず300台を配置した。通勤通学用磁気カードの会員証を発行、料金は1日350円・1カ月3.500円・3カ月9.500円・半年18.000円だった。