レンタサイクル物語19
「ヴェリブ革命」回顧録

パリのシェア自転車

これまで11回にわたって中国式シェア自転車を連載した。2015年に始まった中国式は爆発的に世界に広がり、その後の栄光と挫折を経て、今では先の見通せない転換期にある。本稿では、原点と言うべき2007年のパリ・ヴェリブに立ち戻り、シェア自転車の先行きを探ってみる……。

思い起こせば、ヴェリブはまさに革命的だった。レンタサイクル史においては、「フランス革命」にも匹敵する歴史的な事業であり、世界の大都市の自転車交通を司る自治体に衝撃を与えた。

もともと、ヴェリブが生まれる時代背景はあった。別の言い方をすれば、ヴェリブは世界各地に散在していたシェア自転車スキームの集大成であった。

━19世紀初めに自転車が発明されて以来、その伝播とともに個人客相手の小規模有料レンタサイクルは常に存在していた。これに公共的性格が加わったのは、1965年オランダ・アムステルダムにおいて、慈善事業として白塗りの自転車50台を無料貸出したことが始まりと伝えられている。このころから、一般車と区別するために貸自転車のカラーを一色に塗る風潮が生まれた。

1970年代になると、米国でバイコロジー運動が始まり、環境対策として排ガスを出さない自転車の見直しが世界的に拡がり、そこに健康スポーツ意識が加わって、レンタサイクルが盛んになっていく。

1995年イギリス・ポーツマス大学で、盗難防止のために「スマートカード」を使うシステムが開発されている。同じころコペンハーゲンでも、開錠にコインを使う300台の専用設計のシェア自転車が始まり、車体に広告して収入を得ることも考案されている。

1997年温室効果ガスの排出削減に関する法的な枠組みを定めた国際ルールが策定された。この「京都議定書」により、世界の大都市で自動車渋滞対策を兼ね、近距離公共交通手段として自転車を活用する気運が盛り上がる。日本でもコミュニィサイクルと名付けて都市実験が行われた。

2007年パリ市は、同じフランスのリヨンやストラスブールなど地方都市での成功例を踏まえて、大規模共用自転車システム「ヴェリブ」をスタートさせた。自転車(=ヴエロ)と自由(=リブレ)を組み合わせ、“市民みんなが都市交通に自転車を自由に使おう”という趣旨の新造語であった。

━ヴェリブは、何が革命的だったか?

1. 多人数が使用できるように大量の自転車(現在約25.000台)を配置した。

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(専用設計の自転車ヴェリブ)

2. 貸りたり返したりが便利なように、多数の駐輪場(同1.800ヵ所)を設置した。およそ300メートル間隔、バスを上回るほど利便性が高かった。

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(ヴェリブの駐輪場スタシオン)

3. 駐輪場は無人でフルタイム、料金精算も端末機によるクレジットカード決済、簡便性が高かった。