三輪自転車の話(2)

高齢化社会の到来とともに、三輪車に新しい光があたっている……。

近年高齢者の自動車交通事故が多発、運転免許証返納など社会問題化している。しかし、交通の便の悪い地方では、自動車の代替手段に乏しく、解決の難しい問題である。

歴史を紐解けば、自動車と自転車は相互に影響し合って、交通手段としての役割を果たしてきた。高齢化社会では、自動車に代わって自転車の登場機会がある。

だが、2輪の自転車は、高齢者にとって必ずしも安全とは言えない。より安定性のある多輪車、なかでも3輪の自転車に目を向けるべきであろう。

三輪車の欠点は曲がり角で小回りができないこと。英国や日本でも、この解決のためにいろいろな工夫がされてきた。その歴史のなかに、今日的な三輪車活用のヒントがあるでだろう。

━日本の三輪車の歴史を、拙著「自転車物語・スリーキングダム/八重洲出版刊」(戦前編)の「第4話日本事始め」から引用する。

最初の輸入自転車は三輪車

慶応元年(一八六五)刊の浮世絵師橋本玉ぎょく蘭らん斎さい作「横浜開港見聞誌」に、木製三輪自転車の錦絵が描かれている。玉蘭斎が横浜開港時に描いたとされる日本最古の自転車の絵である。一人の白人女性が乗っているが型式は判別できない。

もっと確かな史料がある 

そのころ横浜居留地に住む白人男性が、両手両足で操縦するイギリス製三輪車「ラントン型」に乗って横浜~東京間を往復した。ラントン型は、その五、六年前の発明だから日本に入ったスピードには驚く。

その情景を、イギリス人ジャーナリストで画家のチャールズ・ワーグマンが、風刺ふうし漫画誌「ジャパン・パンチ」にイラストで描いている。日付は「明治二年(一八六九)一月一日」となっている。

(写真提供:雄松堂書店)

この史料から、少なくとも明治元年には、日本に三輪車があったとわかる。

ジャパン・パンチは、幕末二五年間の日本の歩みを取材した、信頼性の高い一級資料である。因みに、漫画のことを別名「ポンチ絵」と言ったのは、この誌名に由来する。

明治四年の錦絵・四代国政「流行車尽くし」にも、人力車や馬車とともに自転車が描かれているが、二輪車はなく三輪車だけである。

「そんなわけで、最初の渡来車は、二輪車でなく幕末に居留地に持ち込まれた三輪車じゃないか。ミショー車は、もっと遅れて入ってきたのじゃないかな」

国産第一号は木製三輪車竹内寅次郎が自転車の名付け親

明治初期に自転車を手づくりした職人たちの大半は、無名のままに終わった。だが、公文書に残る一人の職人がいる。

竹内寅次郎という神奈川の彫刻職人が、一人乗りと二人乗りの木製三輪車の認可を東京府に申請した。

三輪車の名前も、それまでの自輪車、自在車、西洋車などでなく、新語をつくり「自転車」と呼んだ。名付け親である。

駆動方式はラントン型だが、後輪は踏み板を踏んでまわす足踏み式で、機織り機の原理の応用とされる。

工部省の検査を受けると、わずか二週間で製造販売が許可された。ラントン型を模倣した竹内も素速いが、明治新政府の対応もスピーディだ。新文明を取り入れる時代の熱気が感じられる。

竹内は「この三輪車はよく売れた」と自著に書き残した。竹内の名は、国産車第一号製造者として、また自転車の命名者として、日本自転車史に永遠に名を刻んでいる。

竹内もそうだが、日本人は駕籠や人力車のように、人や物の運搬に人力を使う思考法が強いようだ。だから初期の日本の自転車は、個人が乗るより複数の人や物を運ぶ目的で開発された。多くは三輪、四輪の大型車だった。

明治一一年(一八七八)、竹内は貨客運送用の大型自転車を開発、バスのような運送業を試みた。運転手二名の巨大な四輪車に、定員四名の客を乗せ、後ろに荷物用の二輪リヤカーを引いた。

試運転は東京~高崎間一一二キロ、一泊二日で三八時間四〇分(実走一七時間二五分)もかかった。乗合馬車が同区間を一二時間で走っている。運転手の体力頼みのこの試みは実用にはならなかった。

長野の小泉清助も、八人乗り大型自転車による新橋~浅草の運行計画を失敗している。

人間の知恵は似たようなものである。

現存する最古の国産車「三元さんげん車」

明治九年(一八七六)、福島伊達郡谷地村(現桑折町こおりまち)の村長鈴木三元みつもとは、五八歳のときから四年掛かりで、一人乗り三輪自転車「大河」を独自開発した。

車体は鉄製、車輪は木製で銅板張り、直径一メートルの前輪一個と、七〇センチの後輪二個、左右のペダルを交互に踏んで後輪を廻す方式だった。三輪車は旋回が難しい。三元車は車輪内側に小補助輪を付け、地面を押し車輪を浮かせて小まわりする工夫がされていた。

(現存する最古の国産車「三元車」)

鈴木三元は、のちに四人乗り貨客用も開発したが、実用化されていない。

明治一四年(一八八一)、三元車は第二回内国勧業博に出品されている。

売捌所うりさばきしょを設けて、一人乗りを二十六円で売り出したが、三輪車の人気がなくなっていたのか、あまり売れなかったそうだ。

三元車は「現存する最古の国産自転車」として、名古屋駅近くの「トヨタテクノミュージアム」に展示されている。

 

4年前