このたび国民生活センターが、大人用三輪自転車は一定のスピードでカーブを回ると、転倒の恐れがあると公表した。
http://www.jitenshamonogatari.com/2019/03/24/sannrinnsyai/
高齢者社会を迎えて、バランス感覚や体力の衰えを自覚した高齢者が、普通の二輪自転車から安定性のある三輪自転車に乗り換えているという。また、新しいマーケティング戦略を展開すれば、交通不便な地域で自動車免許返納を余儀なくされた人が、免許不要の三輪自転車を買う新需要喚起策も考えられる。
一般に三輪自転車は特殊なものと考えられがちである。だが世界の自転車史を紐解くと、そうではない。トライシクルと呼ばれた三輪自転車には、誕生以来多くのエピソードが残っている……。
もともと三輪自転車は、練習しなくても誰でも乗れることから、歴史的には二輪自転車より早く生まれている。しかもいろいろな種類がある。広義にとれば、四輪自転車や多輪自転車も同じ概念に含めてよいだろう。
━二輪自転車の発明は1817年、ドイツのドライス男爵のドライジーネが元祖とされている。
(自転車の発明者/ドイツ・ドライス男爵)
最初ドライスは、乗っている人が自力で前進する“馬のいらない馬車”という触れ込みで、四輪自転車の特許をとった。さらに三輪自転車も試作した。いずれも横転せず安定性は評価されたが、あまりにも大きく、重く、小回りできず、実用性に乏しいため商品化を断念、二輪自転車を開発した。
その後三輪車は、多くの人によっていろいろな工夫がされ、二輪車と並んで欧州に普及していった。二輪車で開発されたチェーン駆動などの技術が取り込まれて乗りやすくなり、荷物が多く運べ、複数の人も乗れる安全な乗り物として評価された。
━1870年代、英国の天才技師ジェームス・スターレイは、二輪車「ペニーファージング」(だるま型・オーディナリー型ともいう)を考案して大ヒット、「英国自転車工業の父」と呼ばれた。
(英国自転車工業の父/ジェームス・スターレイ)
ジェームスは角を曲がるときに小回りできる機構を装着した三輪車「サルボ」を考案、これまた大ヒット、英国ビクトリア女王からその功を称えられた。
拙著「自転車物語・スリーキングダム/八重洲出版刊」(戦前編)の「第2話 王国の交替」から、エピソードを引用する━。
女王陛下の愛した三輪車
1870~80年代には、ペニーファージングと並んで三輪車が流行した。
ある日、イギリスのビクトリア女王はオズボーン宮殿近くを宮廷馬車で走っていた。
ふと前方を見ると、見たこともない乗物に気がついた。大きな三つの車輪とキラキラ
輝く細いスポーク。きれいな若い娘が颯爽と乗っている。
「あれは何?」
女王はお付きの者に訊ねた。
「いま流行りの三輪自転車です。トライシクルと呼ばれています」
この新しい乗物が気に入った女王は、ジェームズ・スターレイの三輪車「ロイヤル・サルボ」を2台注文した。
サルボには、チェーン後輪駆動にジェームズの考案した差動歯車が組み込まれ、曲がるときに内側より外側の車輪の回転数が多くなる新機構が組み込まれていた。
ペニーファージングは、速いが危険、しかも乗るには練習が必要だ。三輪車は、誰でも安全に乗れ、停車もでき、複数の人が乗って会話もでき、荷物も多く運べる。
三輪車には、女王陛下の乗物というイメージが生まれ、自転車につきまとっていた嘲笑と偏見はなくなった。
誇張された話だろうが「三輪車に乗る人は二輪車に乗る人より育ちがよい」などと喧伝され、サルボは上流階級に広まっていった。
ニッカーボッカー姿の有名な劇作家バーナード・ショーと、裾拡がりのスカートをはいた義妹の二人が、三輪車の大車輪の間に並んで座っている微笑ましい絵が残っているそうだ。
女王からはジェームズに「三輪車開発の功により」と刻まれた、宝石箱に入った王室紋章入りの銀時計が下賜された。
その直後、ジェームスは病を得て、51歳の若さで不帰の人となった。
スターレイ一族は発明好きで、自転車をはじめ、足踏み式ミシン、ローラースケート、ベネチアン・ブラインド、自動車部品など、200件を超す特許を残している。
83年のスターレイ社自転車展示会では、二輪車233台、三輪車299台、むしろ三輪車が多かった。
三輪車は工夫の余地が多く、いろんなタイプが考案された。さらには四輪、五輪の多輪車も現れた……。