(注)本記事は、自転車情報提供サイト「クリティカル・サイクリング」(http://criticalcycling.com/)に掲載された書評に、著者(角田安正)が補足説明したものです。評者は同サイトを主宰する情報科学芸術大学院大学赤松正行教授、本人も自転車を楽しむライダーです。詳しくはサイトにリンクください。
第2作「自転車物語II バトルフィールド」は、予約していた甲斐もあって、刊行日に受け取っていた。しかし、しばらく読み始める気になれなかった。前作である戦前篇の後半が、時代としても興味としても自分とかけ離れていたからだ。見知らぬ企業や人物への言及ばかりでは、退屈してしまうのも当然だろう。そして、その続編である本書戦後篇も、今日との繋がりは希薄だろうと思えた。
なぜなら、現在の国内自転車製造業は、一部を除いて衰退しきっているからだ。戦前には機械輸出のトップは自転車であったし、敗戦からの復興は目覚ましく、戦後は日本の自転車生産高が世界一になっている。しかし、花形産業であった自転車は、いつのまにかローエンドは台湾中国製に、ハイエンドは欧米製に取って代わられている。つまり、華やかな時代があったにせよ、それは今日とは断絶している。
著者:自転車製造業の戦後史は、隣接産業ともいえるオートバイと同じく、数100社もの企業の興亡史です。本書の目的の一つは、失われるであろう20世紀後半の多くの無名の企業とそれに関わった人々の苦闘の歴史を記録に残すことです。生き残りを賭けた戦いをイメージして「バトルフィールド」(戦場)と名付けました。企業戦略の違いが明暗を分けたという観点から読むと、別の味わいがあると思います。
このような変遷を本書は「自転車は生産国の移転など産業構造変化の先駆者」と位置付けている。この指摘によって、急に合点がいった。今日の日本の製造業の凋落を、自転車業界は何十年か先行して体現していたわけだ。それは繊維産業も同じであったし、後に家電などのエレクトロニクス産業が続いたことになる。歴史は繰り返すと言うべきか、あるいは歴史に学ばなかったと言うべきか。
著者:歴史的には米国が先進国の自転車生産の海外移転を先導しました。当時の米国企業は、労働力や為替などの事情があったとしても、やむなくというより、むしろ利益を求めて率先して移転した感さえありました。米国は日本・台湾・中国を育て、それが諸刃の剣となって衰退しました。
著者:1970~80年代に、日本は廉価化を避け、付加価値のある新需要を創造して独自の市場を築きました。2000年代になると、コモディティ化というよりも、低価格が武器の輸入車大量流入のなかで没落しました。技術よりも価格が優る自転車というシンプルな商品の持つ宿命であり、エレクトロニクス産業とは趣がやや違っていましたが、振り返れば別の戦略もあったかも知れません。
また、年代的に自分が知っている事柄が多くなり、親しみ易くなる。それだけに1970年代に流行した子供向けデコ・チャリ、通称フラッシャー自転車への言及が少ないのは寂しく思えてしまう。逆に、同じ頃にヒットした大人向けスポーツ自転車、ロードマンは記憶にない。このあたりは年齢や環境によって異なるだろう。ただ、初めて知ることが多いので、筆者は自転車に興味がなかったことを再認識させられる。
著者:この時代には多くの新製品新技術が開発されて、語り尽くせない数々の物語が生まれ、歴史的な役割さえ果たしました。例えば、フラッシャー自転車用の、少年でも変速できる位置決め機構付きコンソールボックス型変速機は、現在のレバー型となって大人用につながりました。ロードマンは変遷を重ねてスポーツ車普及の先駆けになりました。機会を得て再述します。
このように、前作とともに本書は自転車というハードウェア、それも製造業や流通業など産業としての自転車史だ。ジャイアントなど台湾勢の台頭と、安価な製品を販売するだけの量販店の増加によって、日本の自転車産業が急激に衰退する様子も語られる。これは単なる亡国史ではない。自転車シェアリング、電動アシスト自転車、カーゴ・バイクなどの新しい潮流も同じ繰り返しになりかねないからだ。
著者:自転車産業は、製造から流通へさらに使用の時代になろうとしています。それがサイクルツーリズム、シェアバイク、サイクルスポーツ、新都市交通手段などの新しい流れとなって現れています。これらを活かすためには、使い捨て化した自転車の価値観向上や自転車道路建設などの社会的ムーブメントが必要です。これらにITを絡めて総合的にとらえた企業が、次代の覇者になるのではないでしょうか。
一方、社会情勢への言及は多いが、文化的側面の考察が少ないのが残念だ。それでも、本田宗一郎や松下幸之助の自転車商会での丁稚奉公や、トップ選手でもあった洋画家、加藤一氏の変遷など興味深いエピソードが紹介されている。著者の語り口は流麗で、小説のような物語性を持った展開に引き込まれる。次作では是非、生活や文化との関わりで自転車の歴史を追って欲しい。
著者:戦後の様々な事象の広範囲な記録に努めましたが、紙数に限りがあり生活や文化面での言及が不足しました。稿を改めたいと思っています。