(呉明益著/天野健太郎訳 新潮社)
著者呉明益(ごめいえき/ウー・ミンイー)は現代台湾文学の代表的作家である。
タイトル「自転車泥棒」は有名なイタリア映画を連想させるが、内容は全く異なる。エッセイに似た語感のなかで、現代から100年前に遡り、台湾、日本、東南アジアを舞台にした、人と「もの」が織りなす壮大な物語である。
ストーリーは、主人公「ぼく」が父の失踪とともに消えた自転車を探すことから始まる。家族、友人、先住民などの人々と、自転車、蝶、象などの事象が絡み合うエピソードが、「ぼく」を語り部として詳細に述べられていく。
高砂義勇隊、台湾少年工、マレー半島の日本軍銀輪部隊、台湾蝶の工芸品、ビルマのジャングルの中国国民党、台北動物園の象、東京のジャズバー……。
史実を踏まえた流麗な文章は、歴史を行きつ戻りつ、虚実をないまぜ、微に入り細を穿ち、読者を幻想の世界に引き込む。ディテールを重視する筆致は、まさに「細部に神宿る」である。
登場する主役の一つは、全編にわたって様々な表現で現れる自転車である。日本の文献にない台湾自転車史が詳述され、そのなかから作者が造形美を愛するヴィンテージ自転車マニアであることがわかってくる。
たとえば、壊れ錆びついた50年代に製造された実用車を「レストア」(修復)する場面は、あたかも肉親を介抱する姿にも似ている。
自転車は中国語で「自行車」と言うが、作者はあえて台湾語の「鐵馬」(ティーベ)を使う。この言葉に戦前戦後に過酷な経験をした台湾と台湾人への愛情が込められていると思える。
本書は18年「国際ブッカー賞」(世界的権威のある英国の文学賞)候補作になるほどの一般読者向けであるが、自転車愛好家とっては、一読の価値がある「自転車本」でもある。
なお、訳者天野健太郎氏は、本書刊行まもなく47歳の若さで逝去された。謹んで哀悼の意を捧げたい。
(コメント:角田 安正)