思い出の自転車都市

列車はスピードを落とし、ゆっくり駅に入っていく。

私は座席から立ち上がると、トランクを引っ張りながら下車口に向かった。一人の軽装のドイツ人青年も、出入口にある固定駐輪ラックから自転車を引き出している。

列車が停まった。私は手を伸ばして手動式のドアを開け、自転車を抱えている後ろの青年に声をかけた。

「ゴーアヘッド、プリーズ」
「ダンケ、シェーン」

青年はお礼を言い、ホームに立つと、自転車を押して地下通路に降りる階段に向かう。私もトランクを引きずり、後に続いた。

前を歩く青年は、目の前の階段を横目で見て、慣れた足取りで通り越していく。

私は立ち止まり青年を眺めていると、反対側の側溝はなだらかなスロープになっていて、そこに自転車を乗せ、手で転がしながら降りていった。

私の階段脇には、荷物を運ぶ小さなコンベアがあった。トランクを乗せるとセンサーが働き、私は手を添えて歩いて降りた。

二つの階段は、自転車用と荷物用に分かれていた。ドイツでは人と自転車に優しい。

地下通路に降りると、二人はまた出合った。青年はトランクを引く私に微笑みながら軽く手を挙げ、そのまま自転車にまたがると、地下通路に続く改札口のない駅構内を走り抜け、街中に消えていった……。

━今朝、私はドイツ・ハンブルグから列車で2時間半、北部の都市ミュンスターにやってきた。自転車を活用する社会の見分の旅である。

ミュンスターは8世紀頃から開け、旧市街には大聖堂や多くのブロック建築が並び、30年戦争を終わらせたウエストファリア条約締結でも知られる歴史の町である。近年はドイツ一の自転車都市としても名高く、ドイツ20番目の都市である。

駅前でタクシーに乗ると、中年の運転手が英語で話しかけてきた。

「どこから来たの?」
「日本から」
「何しに?」
「ミュンスターの自転車事情を知るために」
「ふーん、あちこちからよく視察にくるね」
「駅前には、路面電車を見かけないね。公共交通機関は無いの?」
「市内はバスだけだ。人口は30万人ほどだが自転車はもっと多い。自転車で移動する人が交通量の40%近いそうだ。自転車泥棒も多いね」

━ミュンスターは交通手段として自転車を重視している。

市街地の道路には自転車道や自転車レーンが整備され、自転車専用標識や自転車のイラストが浮かぶ専用信号がある。

交差点には自転車専用の待機ゾーンがあって、人や自動車とクロスしても、安全でスムーズな交通の流れができる工夫がされている。

郊外にのびる自動車道路には自転車専用道路が併設されている。

極め付けは、ドイツで最初につくられたという、駅前の3.000台収容できる明るいガラス張りの地下大駐輪場である。

広い置場は2段格納になっていて、天井からのワイヤーにぶら下げるか、床置するかである。特別会員用の鍵が掛かるガラス張りの駐輪部屋もある。

点検修理や自転車洗浄機による洗車などメンテナンスが頼める。レンタサイクルもある。自転車レースなど自転車情報が告知されている。

自転車や用品も販売している。

早朝から深夜までオープンしている一大自転車センターである。

ミュンスターでは、自動車車優先社会から自転車と人も共生する新しい都市交通が根づいている。

━街中を見学するうちに夕暮れになった。一日を終えた人々が、夕日に照らされた石畳を自転車に乗り、思い思いに走り去って行く。

私は街角のオープンテラスで、ビールとソーセージを味わいながら、幻影のような美しい街並みを時の過ぎるままに飽かず眺めていた。

まさに自転車活用社会がそこにあった……。

駅前にあるミュンスター自転車ステーション

(注)本文は10年前の思い出の記です。

6か月前