axの信用回復策、105の意気込み

自転車マニアなら、「ax」と聞けば、ああ、あの失敗作の変速機ね、とピンと来るでしょう。

今や自転車はe-BIKEが凄い勢いです。日本では子供を2人まで乗せられる電動自転車を先鞭にして、電動自転車がスポーツ車の領域にも覇権を広げつつあります。

しかし、マニアにとってはやはりマニュアルで操作するスキルは愛おしい。だから、変速機も使い手にスキルを要求する1960年代以前のディレーラー(ギヤを脱線させて異なるギヤレシオにする。フリクション操作が必要)は、今となっては憧憬の対象。

フリクションを否定して、クルマの自動変速機のようなシフトチェンジを可能にさせたのは、60年代にジュニアスポーツ車を発売したブリヂストンサイクルで、部品メーカーに“パチパチッ”と誰でも簡単に変速操作できるメカニズムを作らせました。ここから僕に言わせれば堕落が始まりました。

やがて普及グレードで、スカイラークやラークと称する変速機が爆発的にシェアを伸ばし、そのパチパチッ系はスポーツグレードで1982年にエアロダイナミクスをテーマに開発されたシマノ・axに繋がりますが、これが史上最大の失敗作。

シマノ・axは、デュラエース7300系となり、欧州のプロロードレースチームに供給されましたが壊れる壊れる。欧州のレースは日本やアメリカの使用状況よりも大変にシビアで、自然環境も使用強度も過酷。それをシマノは選手視点で見て・分析して・報告できる人材を派遣して、実戦レースで製品のテスト調査を行っていたのです。

1980年のモスクワ五輪に日本が参加ボイコットを決めたためにシマノに入社した元スプリント選手の長義和さんはあるとき、「殴られると思った」というほど、レース現場でシマノパーツを供給していたカプリゾーネKOGAの監督や選手から抗議されたそうです。シマノ・axのペダルがゴールスプリントでシャフトから折れたから。

なぜ折れたかといえば、繊細な要因があり改造したので折れたのですが、その繊細な事情を長さんが本国に報告してもなかなか理解してもらえなかったそう。レース現場で起きていることは、実に想像を絶するものだった訳です。

帰国後、長さんはシマノの開発部でシマノ・105を主体的に作りました。105はスポーツ車向けのベーシックグレードですが、「原点に立ち戻って、無駄な付加価値をすべて省いた」と長さんはおっしゃいました。105は、利益を追求するよりも、信用回復のためのものだった。80年代から現在に到るまで、105の立ち位置にブレはありません。105グレードはシマノの良心とも喩えられます。

axで、地に堕ちたデュラエースのイメージは、105発売によりユーザーたちの信用を見事に回復し、それがベースとなり、徐々にデュラエースにおける新たな付加価値が許容されて、電動変速機構の採用と発展していったのです。

 
1980年代、シマノはax開発のために風洞実験室まで作っていた

現役時代にヨーロッパで走っていた長義和選手。
トラック短距離が得意だったが、ロードも好きだった

10か月前