自転車物語WEB・特別企画 座談会「現代史を斬る。空洞化論議」(2)駒形×粂野×角田

4. なぜ空洞化は起こったか

日本には、歴史的に廉価車専門の「商業型」と呼ばれる数百社の完成車企業群があった。
70年代初めには国内生産全体の30%程度に過ぎなかったが、全国的にスーパーなどの量販店が増加した80年代には、量販店に納入する商業型は逆に70%を占めてきた。
90年代のバブル経済後になると、円高の影響は輸出よりも輸入に強く現れてきた。商業型よりも安い台湾・中国車が日本仕様に対応し、日本への輸出を開始した。流通でも廉価
車主体の量販店の販売力が自転車専門店を上回ってきた。価格競争が激化し廉価車中心の商業型は体力を失っていった。工業型さえ力のあるのは上位数社に絞られてきた。

(注)完成車メーカーの製造形態には、主要部品を自社工場で生産して完成車にする「工業型」と他社から部品を集荷して完成車に組む製造問屋形式の「商業型」(問屋車ともいう)の2種類があった。

角田「価格競争が激化しても、完成車企業には工場の海外移転は視野になかった。日本の視点は国内市場、台湾は世界市場、この違いは大きかった」

粂野「国内に十分な生産力があったから、わざわざ海外工場をつくって、日本に逆輸入する発想は生まれにくかったわけですね」

角田「もともと商業型は低コストが武器だった。円高になっても輸入コストがかかる台湾・中国輸入車に負けるはずがない、もちろん日本部品企業も協力してくれる、とたかを括っていた。過去2度の黄金時代を経るうちに、商業型も工業型化して高コスト体質になり、経営は借入金に依存して、海外工場建設の資本力も技術力もなかった。頼みの日本部品も
台湾・中国部品に押され経営不振になった。その中で一部の商業型と部品は中国に工場を進出、今日でも生き残っています」

駒形「私は唐沢ブレーキの中国進出を研究しましたが、素晴らしい成果をあげている。では、工業型はどうしていたのですか?」

角田「ロードバイクや高付加価値軽快車や子供車に一段と注力して利益を上げ、まだ余力を残していた。海外への工場移転を検討したメーカーもあったようですが、日本への逆輸入はリスクが大きく、海外工場からの欧米輸出は全く考えにないから実行しなかった。廉価車が必要なら台湾・中国へのOEMで凌ごうとしたのではないでしょうか?ブリヂストンだけが中国に工場を進出した」

駒形「完全に空洞化した時期は?」

角田「90年代末には、ブリヂストンは史上最高益を記録しています。空洞化は2000年代半ばと言えるでしょう。1万円以下の超廉価輸入車が量販店の店頭に並ぶと、ブランド力のある工業型でも台湾・中国資本の系列入りしたり、廃業しました。商業型は過半が倒産した。今日では大半が輸入車になりました。もはや工業型、商業型の区別もなくなりました」

駒形「この空洞化を避ける方法はあったのでしょうか?」

角田「生産に労働集約的要素が多く、加えて円高が進むなら、完全な対策はなかったでしょう。しかし、いくつかの方策を組み合わせて実行していたら、ある程度空洞化は回避できたでしょう。いくつか仮説を述べてみましょう」

5. 空洞化は避けられたか

(1)「スポーツ車立国」を志向していたら?

角田「60~70年代を通じ、日本国内はそれまで欧州車を手本に地道にスポーツ車需要を増やしていた。当時の欧米は伝統的な手作り技術です。日本が総力を挙げてスポーツ車の製造、素材、性能など技術開発に注力していたら、世界をリードするスポーツ車が日本で開発可能だったと思う。それを具現したのが部品ではシマノです。日本はあまりにも日本独自の車種群開発に力を入れ過ぎました」

駒形「80年代のプラザ合意後でも、スポーツ車立国はできましたか?」

角田「遅くはなかった。事実ブリヂストンは円高にも関わらず米国販社を設立、松下もパナソニックブランドで米国、欧州へ進出した。各社オーダー車を開発したり、レースを開催するなど意欲はあった。しかし海外工場を建設して欧米に輸出するまでの発想は乏しかった」

粂野「それでどうなりました?」

角田「現実には国内スポーツ車市場はあまりにも小さすぎた。MTBも伸びずブームは沈静化した。これでは売上拡大ができない」

粂野「それで諦めたのですか?」

角田「そのうち廉価軽快車が増大して、大量の放置車が社会問題化、消費者の抱く自転車の価値観が大きく下落、自転車は使い捨て的になった。これはスポーツ車のイメージにも悪影響を与えた。それまでもスポーツ車専門店の育成など努力はしたが、いずれも中途半端だった。スポーツ車だけを別事業法人にするぐらいの意気込みがあれば、高付加価値のスポーツ車に特化した工場なら日本で生き残れたと思う。もっとも、あまり大きい企業ではないでしょうが」

(2)低価格重視の生産形態に変えていたら?

駒形「21世紀になって台湾中国廉価軽快車が大量流入してから、国内総出荷が何年も続いて1000万台を超えています。80~90年代の日本は安売り競争をしながらも価格維持に懸命だった。仮説ですが、もともと日本には1000万台以上の廉価車需要が潜在していたとは言えませんか?それを工業型が廉価車をできるだけ抑えようとして積極的に供給しなかった。この需要と供給のギャップが構造変化を起こしたと言えませんか?」

角田「それは正しい見方かも知れません」

駒形「伝統的に自転車文化をベースにする自転車専門店はできるだけ高いものを売りたかった。だが、量販店は低価格重視であり、高額商品だった自転車を1万円で売ることは魅力的だった。台湾中国車の生産体制が整うと、これが量販店を経て一気に流通に穴が開いた。こう考えられませんか?」

角田「その考えは成り立ちます。70年代後半に価格競争が始まったころ、工業型が高付加価値差別化戦略をとらないで、徹底した小機種大量生産の画一的低価格車に集中したら、100社にも及ぶ完成車とりわけ商業型は一気に淘汰された可能性があります。そうすれば市場は寡占化され、後年輸入車が現れても、それに負けない自転車国になっていたかも知れない。当時、その検討をしたこともあります。だが、それは一種の焦土作戦です。自らも滅びるかも知れず、怖くてできなかった」

(3)メーカー直販を志向していたら?

駒形「メーカー→卸→小売という流通構造を変化させていたらどうなりました?」

角田「流通改革については、工業型は割に早い時期に気が付いていた。卸機構は他人資本の問屋から直営販社化、さらに合併広域化して合理化した。小売機構は、大手は量販店を避け、技術を生かした自転車店系列化政策をとった。ブリヂストンの例を話せば、80年初めから直営小売店を志向、いくつかのチェーン小売店展開をした。もし2000年以降も直営小売店を強力に全国展開していたら、量販店に負けない直営小売店網ができたと思う。だが、当時は2万店を超える既存の系列自転車店はメーカー主導で育成してきただけに抵抗が強く、不買運動さえ起こった。このため中途半端な結果に終わった。もし直営大型専門店網を全国に築けていたら、量販店に対抗できた。これも空洞化を避ける一策でした。実際にサイクルベースあさひやセオサイクルなどのチェーン店が成功している。別の方策として、流通コストを圧縮する量販店直納も考えられたが、やはり工業型として廉価車志向はできなかった」

(4)「カマキリが流れを決めた」というのは本当か?

駒形「部品点数の少ないブリヂストンの軽快車カマキリから自転車の安物化が始まった。カマキリが無ければ、と言う人がいますが」

角田「象徴的な意味では当たっています。部品の少ないシンプルでファッショナブルなカマキリは、シティサイクルという新ジャンルを生むほどの大ヒットでした。これは高付加価値化、高額化のアンチテーゼとして開発した軽快車でしたが、別の意味では差別化商品のコモディティ化のたどる運命であり、カマキリでなくてもいずれこのような商品は生まれていた。生産技術的に模倣が容易だったため、技術力の劣る台湾・中国でも生産できたことは反作用だった」

(5)「台湾はオーナー経営だから勝った」と言う人がいるが?

駒形「これは冗談まじりですが、台湾はオーナー企業、日本はサラリーマン企業が多く、台湾は独自で判断できたが、日本は親会社の意向に左右された。この違いが明暗を分けたという声をよく聞きます」

角田「あまり妥当ではありません。自転車は親会社の製品とマーケティングが違うから親会社も簡単には口出しできません。ただサラリーマン社長の任期は短いから、方針が変わることはありますが、これは日本企業全体に言えることです。コーポレートガバナンス(企業統制)が厳しくなった今日ならともかく、90年代後半に企業の淘汰・再編が始まるまでブリヂストン、松下、宮田などで親会社の考えで経営が変わったことはほとんどないと思います。オーナー経営の良さは決断の速さと長期的思考力でしょうが、失敗例も多くあります。しょせん企業は人です。今日隆盛なジャイアントの羅さん、メリダの曽さんは優れた経営者です。世界のシマノを築いた島野の歴代社長もそうです」

5. 自転車工業に明日はあるか?

駒形「世界的にシェア自転車が普及して利用方法が変わってきましたね」

角田「自転車の用途である実用とスポーツ用の2面性は全く変わっていません。実用では、環境保全と関連して今まで以上に必要な都市交通手段になるでしょう。シェア自転車の普及により、個人所有から共同使用へと変化します。所有から使用への流れはこれから一般化するでしょう。だが、今のシステムはまだ過渡期です。もっと自転車そのものがシェア自転車専用に変化していくでしょう」

粂野「ではスポーツ用は?」

角田「これは言うまでもありません。世界的にいろいろなスポーツが多様化しながら隆盛になっています。サイクルスポーツも、ロードレースを中心に盛んになっていくことでしょう。MTBやBMXももっと盛んになるはずです。車種的にはロードバイクモデルが鍵になり、実用にも使われていくでしょう」

駒形「では日本自転車工業が再生する可能性はあるのでしょうか?」

角田「グローバル化の中で人々は、欧米→日本→台湾→中国と、安い労働力を求めて生産国を移転してきました。今はヴェトナムなどへの移転もある。しかしいつまでも安物車が自転車でしょうか?企業が共同して高付加価値車を開発し、専門店販売に回帰して成功した台湾『Aチーム』の例もある。電動アシスト車開発の例もある。高級志向、ブランド志向の強い日本人の国民性とものづくり技術を考えれば、必ずや復活の道があると思います。たとえ大企業でなくても中堅規模なら成立します。流通構造も量販店が専門小売店に分化、ネット通販も主流になりつつある今日、実店舗販売にも変化が起こります」

粂野「世界の自転車先進国では?」

角田「先年、ヴァルネミュンデというバルト海沿岸のドイツの観光都市に行きました。自転車に乗った人々が、トレイン(鉄道)とトラム(路面電車)を併用しながら移動しています。車両への自転車持ち込みが簡便化され、車中にも保持器具あり揺れが少ない。自転車と他の乗り物がスムーズに連結していて無駄のない自転車交通が実現しています。欧州の自転車先進国では自転車道路も自転車用交通標識も駐輪場もほぼ完備しています」

粂野「先日関西の某市役所に行き、自転車の電車持ち込みを提案しました。市側はほとんど関心がありません。自転車道路も走ってみたが途中で道が無くなるなどいい加減です。逆に言えば、自転車は交通手段としてもまだまだ発展の余地があります」

角田「自転車需要は形が変わっても永遠に不滅です。ましてものづくり日本です。必ずや復活すると信じています」

全員「それでは、自転車の新しい未来を願って、ここらで散会致しましょう」

1年前