レンタサイクル物語2

角田安正


日本のレンタサイクルは、1860年代末期の自転車伝来とほぼ同時に誕生した。
その10年後の明治3年には、大阪で「自転車交通取締令」が通達され、翌年には東京で「自転車税」が新設されている。
当時の自転車は、現代の通貨換算で1台400~500万円相当の高額なもの。簡単に買えるわけがない。多くはレンタル需要だった。
レンタルは誰が乗っても倒れない3輪車から始まった。今日の観光地のレンタサイクルと同様、客寄せを兼ねた副業として儲かった。
時計はまだ普及していない。
上野の水茶屋では「広小路1周=1銭5厘」芝公園では「線香1本消える間=2銭」と値決めした。
本業にしたのは、横浜・元町の商人石川孫右衛門。1877年、フランス製ミショー型2輪車16台をそろえて、1時間25銭で貸し出した。横浜は商人が多い。商用に、練習用に、と大繁盛。残念ながら6年後に火災で全焼して廃業したが、日本最初の貸自転車屋として名を残している。

明治が進むと、仕事の減った鉄砲鍛冶や刀鍛冶が、見よう見まねで自転車をつくり、輸入車の10分の1の価格で販売した。価格は下がったが、まだまだ高い。だが自転車は流行の最先端、ご一新このかた新しもの好きの若者たちは乗りたがる。
そのころ東京のレンタサイクルは、およそ1,000台、賃料1時間4~5銭、蕎麦1杯2銭だから借り賃は今の貨幣価値で1,000円程度だった。
やがて流行は都市から地方へ伝播。鍛冶職人が集まり「自転車の町」と言われた関西の堺でさえ、1900年ごろはまだ10台程度しかなく、自転車店は修理のかたわらレンタルした。
当時、「自転車賃貸」という看板はあったと聞くが「貸自転車」という言葉の始まりは記録がない。
いずれにしろ、レンタサイクルが自転車普及の後押しをしたことは間違いない。

2年前